藤枝市文化財一覧
都道府県コード又は市区町村コード NO 都道府県名 市区町村名 名称 名称_カナ 名称_通称 名称_英語 文化財分類 種類 場所名称 住所 方書 緯度 経度 電話番号 内線番号 員数(数) 員数(単位) 法人番号 所有者等 文化財指定日 利用可能曜日 開始時間 終了時間 利用可能日時特記事項 画像 画像_ライセンス 概要 概要_英語 説明 説明_英語 URL 備考
222143 静岡県 藤枝市 若王子古墳群 ニャクオウジコフングン 県指定史跡 静岡県藤枝市若王子1015(蓮華寺池公園内) 1 藤枝市 1995-03-20 標高110mの尾根上に、長さ160mにわたって28基の古墳が連なっている。4~5世紀の木棺直葬墳(もっかんじきそうふん)が中心で、一辺10~18mの円墳または方墳である。古墳時代の前期後半~中期の群集墳は県内では珍しいが、志太平野にはいくつかあり、この地域の特徴である。なかでも若王子古墳群は、志太平野を見渡す絶好の位置にあり、中央政権とのつながりを示す車輪石(しゃりんせき)(石製の腕輪)が出土するなど、当時の有力者が埋葬されてたと考えられる。
222143 静岡県 藤枝市 久遠の松 クオンノマツ 県指定天然記念物 静岡県藤枝市藤枝四丁目2-7 1 大慶寺 1955-02-25 大慶寺境内にあるクロマツの大樹。今から700年前、日蓮上人が比叡山で学んだ帰りに、この地に立ち寄り、記念に一本の松を植えたという。これが久遠のマツで、名前は法華経の中にある「久遠却(くおんごう)」という言葉に由来し、未来永久に仏の道が栄えること祈念して植えたといわれる。(根廻7.0m 目通4.5m 樹高25.0m 枝張:東西28.0m・南北28.4m)
222143 静岡県 藤枝市 若一王子神社の社叢 ニャクイチオウジジンジャノシャソウ 県指定天然記念物 静岡県藤枝市若王子73 1 若一王子神社 1956-05-24 この神社の裏山境内地の森が社叢となっていて、ヤマモガシ、ミミズバイ、イチイガシ、カンザブロウノキ等の照葉樹木があり、これら暖地性植物が自生する北限地として重要である。若一王子神社縁起によると、源義家が後三年の役(1083~1087)の時、ここを通過した際に詠んだ「松に花 咲く藤枝の一王子 宮居ゆたかに いく千代をへん」という歌が残されており、藤枝という地名の由来になったともいわれている。
222143 静岡県 藤枝市 須賀神社の楠 スガジンジャノクス 県指定天然記念物 静岡県藤枝市水守3丁目2-11 1 須賀神社 1958-09-02 東海道に接した須賀神社の御神木である。このクスは、樹高や根廻が優れていて、樹勢も旺盛で枝張りも良い。クスノキは、暖地に自生する常緑高木で、芳香がある。樹皮は横に細かい割れ目ができ、葉は楕円形で先が急にとがっている。5月頃、白から黄色をおびる小さな花が咲き、実が10~11月頃になる。(根廻15.2m 目通10.9m 樹高23.7m 枝張:東西21.2m・南北27.9m)
222143 静岡県 藤枝市 鼻崎の大杉 ハナサキノオオスギ 県指定天然記念物 静岡県藤枝市瀬戸ノ谷10026 1 高根白山神社 1961-03-28 高根白山神社の参道入口の脇に立ち参拝者にその威容を誇る。根廻が太いことでは県下一である。スギは、スギ科に属する代表的な常緑高木である。まっすぐな幹が特徴で大きなものは高さ50m以上に達し、日本の樹木中最大になるという。樹皮は赤褐色の繊維質で、縦に長く裂ける。(根廻14.5m 目通8.0m 樹高27.5m 枝張:東西27.6m・南北26.5m)
222143 静岡県 藤枝市 高根神社の杉 タカネジンジャノスギ 県指定天然記念物 静岡県藤枝市瀬戸ノ谷9964 1 高根白山神社 1961-03-28 高根白山神社の本殿裏山の斜面にあり、御神木として今日まで守られてきた。樹高の点では県下でも有数のものである。周囲にはスギの大木が多数あり、神社の森を形成している。(根廻8.7m 目通7.2m 樹高47.2m 枝張:東西19.0m・南北20.0m)
222143 静岡県 藤枝市 芋穴所の丸樫 イモアナドノマルカシ 県指定天然記念物 静岡県藤枝市瀬戸ノ谷9441-1 1 高根白山神社 1962-02-27 このマルカシは、材の赤いアカガシの一種で、根廻が県下一を誇り、樹勢も良好。高根山の北方へ延びる稜線上にあって、丸く樹枝を張る姿を遠くから望むことができる。カシは、ブナ科に属する暖地性の常緑高木である。葉は光沢があり質厚く、互生(交互に一枚ずつ方向を異に)する。5月頃花をつけ、10月頃実が成熟する。(根廻10.5m 目通5.5m 樹高17.0m 枝張:東西26.7m・南北25.0m)
222143 静岡県 藤枝市 万年寺のカヤ バンネンジノカヤ 県指定天然記念物 静岡県藤枝市岡部町新舟1232 1 万年寺 1978-10-20 玉露の里から朝比奈川を挟んで対岸にある万年寺境内にそびえている。標高60mほどの丘陵尾根上にあるため、遠くからでもその姿を望むことができる。根元から少し上で幹は二つに分かれており、傷みはあるが樹勢は盛んである。(根廻8.0m 目通5.8m 樹高30.0m 枝張:東西30.0m・南北25.0m)
222143 静岡県 藤枝市 高根白山神社古代神楽 タカネハクサンジンジャコダイカグラ 県指定無形民俗文化財;記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財 静岡県藤枝市瀬戸ノ谷9964 1 保存会 1968-03-19 毎年10月29日に、高根白山神社の拝殿で奉納される12演目の神事芸能である。舞人は1~5人の成人男性で、衣装は烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)・袴を基本とし、採物(とりもの)は、幣(へい)・鈴・太刀などで、演目により天狗や翁などの面をつける。舞庭となる拝殿の天井には注連縄(しめなわ)が張り巡らされ、五色の幣と金銀の切り紙が飾り付けられる。四方を拝しながら舞い進む構成(本来は東西南北と中央の五方位)と、五色の採物は陰陽五行(いんようごぎょう)思想を表している。「湯立(ゆだて)の舞」を伝えることから、伊勢流の湯立神楽の流れをくむものであることがわかる。演目の内容、舞の構成、天井飾り、笛と太鼓の音曲などは、県内中部地方の山間部(おもに藁科川・安倍川・大井川の上流域)にひろく分布する神楽に共通する特徴をもち、地域間の交流をうかがわせる。
222143 静岡県 藤枝市 滝沢八坂神社の田遊び タキサワヤサカジンジャノタアソビ 県指定無形民俗文化財;記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財 静岡県藤枝市滝沢1320 1 保存会 1974-04-18 田遊びは、一年の初めにその年の豊作を祈って奉納される神事芸能で、農作業を模した演目を中心に19演目がおこなわれる。舞庭は、本殿と拝殿の間で、四隅に榊の枝(または竹)を立て注連縄で結界される。舞人は、成人男性と、小学生の男児で、衣装は、大人は白装束、子供は絣(かすり)の着物である。演目は、「田打ち」・「田植」・「稲刈り」などの農作業を表現するものと、「薙刀(なぎなた)」・「白刃(しらは)」・「九字(くじ)」など修験道(しゅげんどう)系のもの、「筏(いかだ)」「耕作散田」など能・狂言系のものなど多彩である。特に注目されるのは「孕早乙女(はらみさおとめ)」で、早乙女役は赤子にみたてた木製の人形(タロッコ=稲の精霊)を生み、農夫役がこれを見つけて喜びのしぐさをする。滝沢で伝承する田遊びに特徴的な、他所ではみられない演目である。毎年2月17日に奉納されてきたが、現在ではこの日に近い土曜日に行われる。
222143 静岡県 藤枝市 朝比奈大龍勢 アサヒナオオリュウセイ 県指定無形民俗文化財 静岡県藤枝市岡部町新舟(六社神社) 1 保存会 2003-03-24 新舟(にゅうぶね)の六社神社の秋の例祭で奉納されてきた花火の一種である。始まりははっきりしないが、龍勢花火の記録で最も古いものは明治5年(1872)の「ハナビヲボイ」(花火覚)である。現在は朝比奈川流域の7つの地区にある13の「連(れん)」と呼ばれるグループにより龍勢がつくられ、献発されている。龍勢花火の製造方法は手引き書があったわけではなく、火薬の配合をはじめ、原料や素材など連ごとに口伝により伝わったという。龍勢花火は吹き筒(火薬筒)・ガ(曲物(きょくもの)の収納)・尾(蛇(かじ))の3つからる。吹き筒はロケットのエンジン部分にあたり、ガには花傘・連星・龍などのしかけが詰められ、舵となる尾はまっすぐな竹で作られている。現在は2年に一度10月の例祭で奉納されている。
222143 静岡県 藤枝市 安楽寺の鰐口 アンラクジノワニグチ 県指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市北方962 1 安楽寺 1958-10-30 鰐口は、寺院や神社の軒先に懸け、参拝者が打ち鳴らす金属製の楽器(梵音具(ぼんおんぐ))である。形は直径20.5cm・厚さ7.0cmの円盤状で、音が反響するように中は空洞で下半は鰐の口のように開いている。中央の撞座(つきざ)は蓮華文が鋳出され、中央から外縁にかけてさらに円が重なり、ここに銘文が刻まれている。銘文には、天文7年(1538)に大工(鋳物の職人)又二郎が製作、願主は大代助二郎であることが記されている。
222143 静岡県 藤枝市 太刀 銘小駒宗太平胤長造 タチ メイオゴマソウタタイラノタネナガゾウ 県指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市 1 個人 1964-04-21 胤長は大慶直胤の門で、伊豆韮山代官・江川太郎左衛門英龍の抱え鍛冶で伊豆韮山において鍛刀している。本作は胤長の作品の中で最も出来の良い作品である。銘文により小駒宗太と名乗ったことが分かり、資料的にも貴重である。
222143 静岡県 藤枝市 紙本墨書縁生論 シホンボクショエンジョウロン 県指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市原6-1 1 清水寺 1956-01-07 黄檗(きはだ)で染めた料紙(りょうし)に、墨書された写経で、巻首(内題)と、巻末(尾題(びだい))には「縁生論」とあり、奥書(おくがき)に神護景雲(じんごけいうん)2年(785)5月13日、仏弟子(称徳天皇)が先聖(聖武天皇と淳仁天皇の2説がある)のために一切経(いっさいきょう)一部を写すという内容が記されている。このことから、奈良時代後期を代表する写経である「景雲経」のひとつであることがわかる。景雲経は、称徳天皇(在位764−769)が先聖の供養のために発願(ほつがん)した、約5千巻の経典群である。景雲経は東大寺尊勝院の聖語蔵(しょうごぞう)という経蔵に収納されていたが、現在は正倉院に約740巻あり、このほか約50巻が各地に分散して伝来している。全長478.8cm・縦27.9cmで、界高23.3cm・界巾2.4cm、界線を幅広く引き、ゆったりとした肉太の書体が特徴である。奥書まで完備しているものは数少なく、また地方に伝来する例として貴重なものである。
222143 静岡県 藤枝市 志太郡衙関連遺跡出土文字資料 シダグンガカンレンイセキシュツドモジシリョウ 県指定有形文化財 美術工芸品 藤枝市郷土博物館 静岡県藤枝市若王子500 (054)645-1100 1 市教委 2004-02-27 国指定史跡「志太郡衙跡」の出土遺物のうち、「大領(たいりょう)」「少領(しょうりょう)」など郡役人の官職名、「志太」の郡名が記された墨書土器や木簡は、この遺跡が郡役所であることを示す重要な証拠である。また、近接する秋合(あきあい・あきあわせ)遺跡で出土した、「刑」と記す墨書土器は、志太郡のなかにあった刑部郷(おさかべごう)をあらわすものである。郡衙の関連工房とみられる山廻(やままわり)遺跡の墨書土器とともに、合計338点の文字資料は、古代の郡衙と周辺に広がる関連施設の姿を示す重要な資料である。
222143 静岡県 藤枝市 田中城址 タナカジョウシ 市指定史跡 静岡県藤枝市田中一丁目 外 1 藤枝市 他 1957-03-16 田中城址は瀬戸川に沿った微高地上に位置しており、戦国時代には三ノ丸までだったが、江戸時代初頭に外曲輪(そとくるわ)が増設された。4重の堀に囲まれ、「亀城」とも呼ばれる直径約600mの同心円形の縄張りは全国的にも類例がない。今から500年ほど前、この地の土豪・一色氏が今川氏の命を受け居館を拡大して築城したのが始まりと伝えられ、今川時代には徳一色(とくいっしき)城と呼ばれていた。永禄13年(1570)、駿河に侵攻した武田信玄によって攻略され、武田流の馬出曲輪(うまだしくるわ)が築かれ田中城と名付けられた。天正年間(1573−1592)には武田氏と徳川氏による攻防戦が行われ、江戸時代には田中藩が置かれて、譜代大名12氏21名が城主となった。現在、城跡の中心部には小・中学校が建ち宅地化されているが、二ノ堀・三ノ堀・三日月堀・三ノ土塁などが部分的に残され、城の面影をとどめている。
222143 静岡県 藤枝市 千貫堤 センガンヅツミ 市指定史跡 静岡県藤枝市下青島 1 個人 1959-01-21 慶長9年(1604)・寛永4年(1627)の大井川の大洪水でこの地域一帯は甚大な被害を蒙ったため、寛永12年に田中藩主となった水野忠善(みずのただよし)(1612ー1676)は、幕命を受けて大井川の氾濫から藩領の村々を守るために堤防の築造に取りかかったという。堤の規模は全長500mを超え、幅32m、高さ3.6mほどだったと推定される。千貫もの莫大な費用がかかったことから、千貫堤の名称が付けられたという。
222143 静岡県 藤枝市 今川泰範の五輪塔 イマガワヤスノリノゴリントウ 市指定史跡 静岡県藤枝市下之郷1225 1 長慶寺 1959-08-18 今川氏は室町将軍・足利氏の一族で、今川範国(のりくに)の時に駿河守護となり、市内では葉梨地区などを領地とした。今川泰範(1334−1409)はその孫で長慶寺は泰範の菩提寺である。五輪塔は高さ約171cmで、泰範の供養塔として伝わっている。
222143 静岡県 藤枝市 雪斎長老の無縫塔 セッサイチョウロウノムホウトウ 市指定史跡 静岡県藤枝市下之郷1225 1 長慶寺 1959-08-18 無縫塔は僧侶の墓石である。太源崇孚(たいげんすうふ)雪斎(1496ー1555)は臨済宗の僧で、戦国大名今川義元に仕え、参謀としても知られる。長慶寺に隠居し、没後は後奈良天皇から「宝珠護国禅師(ほうじゅごこくぜんじ)」と諡名(おくりな)された。この無縫塔には、この諡名が刻まれている。
222143 静岡県 藤枝市 岡部氏墓 オカベシハカ 市指定史跡 静岡県藤枝市岡部町子持坂501 1 万松院 1972-07-01 岡部氏は藤原氏の一族で平安時代に仮宿地域に土着したと伝えられる。その後、鎌倉幕府の御家人となり、岡部・宇都谷(うつのや)郷の領主として歴史書に登場し、戦国時代には今川氏の家臣として知られるようになる。子持坂の万松院は仮宿地域を望む山の中腹にあり、岡部氏の菩提寺とされている。境内には塀に囲まれた2基の宝筐印塔(ほうきょういんとう)と1基の五輪塔があり、岡部氏一族の墓と伝えられている。
222143 静岡県 藤枝市 衣原古墳群  コロンバラコフングン 市指定史跡 静岡県藤枝市中ノ合・下之郷 1 個人 1956-12-02 標高30~60mの低丘陵上に広がる古墳群で、開墾などの際に遺物が出土して、古くから古墳の存在が知られていた。11基の古墳があったと考えられるが、現存しているのは4基である。新東名高速道路建設に伴い、発掘調査された11号墳は、長さ4.8m・最大幅1.8m、両袖式(りょうそでしき)の横穴式石室で、土器・鉄製の武器類・馬具など豊富な副葬品が出土した。年代は6世紀中頃~7世紀の初めである。
222143 静岡県 藤枝市 岡部宿本陣址 オカベシュクホンジンアト 市指定史跡 静岡県藤枝市岡部町岡部831 1 藤枝市 1973-04-01 内野本陣の敷地は、ほぼ当時のまま残り、本陣跡として指定されている。参勤交代の時に大名が宿泊する本陣は岡部宿に2軒があり、内野本陣の向かいに仁藤本陣があった。幕末の内野本陣は、表間口15間(約27m)、奥行29間(約52m)の敷地があり、当時の井戸や14代将軍・徳川家茂(いえもち)が休憩したことにちなむ「将軍稲荷」などが残っている。
222143 静岡県 藤枝市 入野古墳 イリノコフン 市指定史跡 静岡県藤枝市岡部町入野 1 個人 1973-04-01 入野西古墳群のなかのひとつで、標高105mの山腹に開口する横穴式石室墳(よこあなしきせきしつふん)である。石室の大きさは全長7.5m・最大幅1.8m、天井石まで良好に保存されている。明治時代頃から知られていたようで、副葬品は掘り出されらしく現在は残っていない。石室は、玄室(げんしつ)と羨道(せんどう)を立柱石(りっちゅうせき)(門柱のような形の石)で区切る擬似両袖(ぎじりょうそで)式で、この型式から古墳時代後期(7世紀代)に築造されたものとみられる。
222143 静岡県 藤枝市 つたの細道 ツタノホソミチ 市指定史跡 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 市教委 1973-04-01 蔦(つた)の細道は、藤枝市と静岡市を分ける宇津ノ谷峠を越える道で、「宇津の山」と平安時代の『伊勢物語』に記されて以降、歌枕の地として知られる。戦国時代、天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原の後北条氏を攻めるために新しく整備した道と伝えられる「東海道宇津ノ谷峠越」より以前の、最古の峠道である。
222143 静岡県 藤枝市 朝比奈城址 アサヒナジョウシ 市指定史跡 静岡県藤枝市岡部町殿 1 個人 1973-04-01 朝比奈城址は標高180mの山頂から分かれた2つの尾根に遺構が分布している。東の尾根上には3つの堀切と本曲輪(ほんくるわ)、二ノ曲輪が設けられている。また、二ノ曲輪の周囲には階段状に平場が造られている。山頂から南に延びる尾根には南側で幅約55m、長さ80mの平坦部があり、この平坦部の北側に、尾根を分断する幅3mの堀切と幅1mの土塁が築かれている。朝比奈氏の築城とされている。
222143 静岡県 藤枝市 朝日山城跡 アサヒヤマジョウアト 市指定史跡 静岡県藤枝市仮宿1 外 1 稲荷神社 1980-01-16 朝日山稲荷社がある山頂の西側が本曲輪とされ、平場と土塁が残っている。本曲輪は長さ約54m、最大幅28mで、南側から北側にかけて土塁が残り、北東側には台状の高まりがある。なお、山頂部の東側は稲荷神社の建設により削られているため、二ノ曲輪等の存在は不明である。岡部氏の築城と伝えられる。
222143 静岡県 藤枝市 花倉城跡 ハナグラジョウアト 市指定史跡 静岡県藤枝市花倉 1 個人 1986-03-28 花倉城跡は標高300mほどの山頂部に本曲輪(ほんくるわ)と二ノ曲輪を造り、この2つの曲輪の間と山頂から四方に延びる尾根に堀切を設けている。今川義元が兄の玄広恵探(げんこうえたん)と家督を争った花蔵の乱の舞台となった城で、これに勝利して義元が家督を継いだ。花倉城のある葉梨地区は建武4年(1337)に今川範国(のりくに)に与えられて以後、戦国時代まで今川氏と縁の深い土地といわれる。
222143 静岡県 藤枝市 旧東海道の松並木 キュウトウカイドウノマツナミキ 市指定史跡 静岡県藤枝市岡部町内谷・上青島  1 静岡県 1997-10-01 旧岡部宿西木戸から横内の間に残る約560mの松並木で、地元では「岡部松原」と呼ばれて親しまれてきた。また上青島地区の一里塚付近の約150mの松並木は土塁上に生育する姿を残している。
222143 静岡県 藤枝市 蓮生寺のイブキ レンショウジノイブキ 市指定天然記念物 静岡県藤枝市本町一丁目3 1 蓮生寺 1957-03-16 イブキは、ヒノキ科の常緑高木で、ビャクシンともいわれ、幹がねじれる性質があり、雌雄異株である。このイブキは雄株で、明治36年(1903)1月に木町から出火した大火のため一部類焼したが、その後樹勢を復活し、今日に及んでいる。(根廻1.65m 目通1.55m 樹高6.8m 枝張:東西7.0m・南北7.0m)
222143 静岡県 藤枝市 北方のトキワガキ キタガタノトキワガキ 市指定天然記念物 静岡県藤枝市北方  1 個人 1957-05-28 トキワガキは、カキノキ科の常緑高木で、幹は直立し、鐘形で白や淡黄色の花が6月頃につき、径1~2cmの実を結ぶ。雌雄異株で、このトキワガキは雌株である。四国・九州の暖地に自生するが、分布はまれで、本県は分布の北限とされる。
222143 静岡県 藤枝市 ハゴロモクリハラン ハゴロモクリハラン 市指定天然記念物 静岡県藤枝市本郷  1 個人 1957-05-28 ハゴロモクリハランは、瀬戸ノ谷で発見されたシダ類・ウラボシ科クリハランの一変種である。クリハランはランの仲間と間違いやすいが胞子がついており、形はクリの葉に似ている。ハゴロモクリハランは、葉の下の方が左右に大きく袖を出していることから名が付いた。全国的にも分布のまれなシダ類といわれている。
222143 静岡県 藤枝市 かや カヤ 市指定天然記念物 静岡県藤枝市岡部町子持坂268 1 常願寺 1972-07-01 常願寺の門前にあり、落雷にあって傷んでいるが樹勢は盛んで、秋にはたくさんの実がなる。かつては、実を拾い、白い核の部分を食用にしたり、搾って油にしたりしたという。万年寺のカヤに次いで市内でも有数の巨木の1つである。(根廻5.3m 目通4.5m 樹高20.0m 枝張:東西28.0m・南北25.0m)
222143 静岡県 藤枝市 すぎ スギ 市指定天然記念物 静岡県藤枝市岡部町青羽根1070−3 1 大井神社 1972-07-01 海抜380mの山腹に建つ神社本殿の脇にそびえている。元治元年(1864)の棟札写しによると、神社の再建が応仁元年(1467年)になされたという記録がある。(根廻8.0m 目通5.4m 樹高28.0m 枝張:東西25.0m・南北25.0m)
222143 静岡県 藤枝市 月見里神社のクス ヤマナシジンジャノクス 市指定天然記念物 静岡県藤枝市藤枝三丁目333 1 月見里神社 1986-10-06 神社本殿の後ろにあり、二股になった幹が特徴的なクスの大木である。境内には、このほかにも数本のクスの大樹があり、これらが大きな社叢を形づくっている。神社の名は、周囲に山が無く月がよく見えるという意味で「月見里」と書いて「やまなし」と読む。(根廻26.5m 目通9.1m 樹高18.0m 枝張:東西19.5m・南北12.0m)
222143 静岡県 藤枝市 本願のマツ ホンガンノマツ 市指定天然記念物 静岡県藤枝市藤枝二丁目699 1 正定寺 1986-10-06 正定寺は、東海道藤枝宿の西木戸口近くにある。境内にある本願のマツは、別名「延命のマツ」ともいわれている。傘形に枝張りした姿が美しいクロマツである。享保15年(1730)、田中城主土岐丹後守頼稔(ときたんごのかみよりとし)が大坂城代になった時に本願がかなった記念として寄進したとされている。(根廻約3.0m 目通3.0m 樹高6.3m 枝張:東西11.5m・南北14.0m)
222143 静岡県 藤枝市 手揉製茶技術 テモミセイチャギジュツ 市指定無形文化財 その他 静岡県藤枝市 1973-04-01 技術保持者を中心として、保存会によって技術の向上と保存伝承、後継者育成に努めている。また、小学校での講習会やイベントなどで、幅広く普及活動を行っている。
222143 静岡県 藤枝市 カミコロバシ カミコロバシ 市指定無形民俗文化財 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 若宮八幡宮 1973-04-01 若宮八幡宮のカミコロバシは七十五膳(しちじゅうごぜん)とともに秋の例祭で3年に1度行われている。「泰平衆(たいへいしゅう)」と呼ばれる36人の男は朝比奈川で禊(みそぎ)を行い、折敷(おしき)にのせた膳を押し合い、へし合いしながら練り運ぶ。次に筵(むしろ)に身を包んだ一人が泰平衆に揉まれて練りあい、北や東の隅で転び、本殿の前でも転ぶ。最後に5~6mの青竹に藁で形作った瓶を吊るして練り歩き、転んでは立ち上がりながら、本殿の前までくると泰平頭と呼ばれる人が瓶から酒をくみ出すしぐさを行い、神事は終了する。また、カミコロバシと同時に行われる七十五膳は、穀物や野菜・果物など75の膳を、本殿裏の仮神饌所(しんせんじょ)から本殿内に献納する。これに携わる人々は2列となり、口に榊の葉をくわえ、一礼一拍手して膳を手渡していく。カミコロバシと七十五膳の神事は同時に進行されることから本来はひとつの神事と考えられる。
222143 静岡県 藤枝市 山宮祭 サングウサイ 市指定無形民俗文化財 静岡県藤枝市岡部町三輪 1 神神社 1973-04-01 高草山を御神体として祀る神神社では、2月の祈年祭の日、10月19日の例祭、11月の新嘗祭(にいなめさい)の日に、本殿東側にある三ツ鳥居(三輪鳥居)の奥に設けられた祭祀場に、高さ2m近くの大きな5対の幣(へい)を立てて祀る。10月の例祭では、氏子が小さい幣をもって拝殿脇の山に立てる。これは各家の守護神に神の神威を分け与えてもらうためだという。山宮祭は、山を祀るという古代祭祀の形式を今にとどめている。
222143 静岡県 藤枝市 山の神祭 ヤマノカミマツリ 市指定無形民俗文化財 静岡県藤枝市岡部町三輪 1 神神社 1973-04-01 高草山の中腹にある神神社の社有地で、毎年2月8日に行われる。山の神の祭祀場は、三輪川の水源の一つである谷の奥まった所で、露出した大きな岩が山の神の場所(磐座(いわくら))である。祭礼日には、磐座に幣と大弓を立て、神饌(しんせん)(供え物)を供える。神職が豊作を祈る祝詞(のりと)を奏上した後、神職・参加者が大弓に大矢をつがえて四方に向かって射る。山の神は放たれた矢に乗って里に降り、田畑の守り神になるとされる。神事が終わった後、参列者は御神酒を竹の盃でいただき、直会(なおらい)(神事後の酒宴)を行う。
222143 静岡県 藤枝市 滝沢八坂神社の神楽 タキサワヤサカジンジャノカグラ 市指定無形民俗文化財;記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財 静岡県藤枝市滝沢1320 1 保存会 2002-03-20 高根白山神社と同系統の神楽で、演目の内容、舞の構成、天井飾り、笛と太鼓の音曲などには、共通点が多い。伝本(でんぽん)によると、かつては21演目があったが、現在は12演目が奉納されている。祭礼日は10月9日であったが、現在は最も近い土曜日に行われる。滝沢八坂神社の田遊びと同じ伝承者によって保存されている点が注目され、滝沢地区の文化的風土をうかがわせる。
222143 静岡県 藤枝市 飽波神社大祭の奉納踊り アクナミジンジャタイサイノホウノウオドリ 市指定無形民俗文化財 静岡県藤枝市藤枝5丁目15-36 1 保存会 2019-09-30 3年に一度の、飽波神社の大祭で披露される踊り。旧藤枝宿場町を中心にした14地区が、屋台の曳き回しとともに、日本舞踊をアレンジした振付で、長唄を伴奏にして踊る。「手古舞(てこまい)」や祭り衣裳に江戸風の名残があり、江戸町衆の芸能文化がこの地域に波及して定着し、現在まで伝承された歴史を伝える。
222143 静岡県 藤枝市 長屋門 ナガヤモン 市指定有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町子持坂244 1 市教委 1972-07-01 丘陵裾に建つ鴫谷家の長屋門で、安政5年(1858)に築造された。建物は、木造平屋建(ひらやだて)・寄棟造(よせむねづくり)・茅葺(かやぶき)で、規模は正面9間半(17.1m)・側面2間半(4.5m)、平成13年度に修復された。中央に出入口部を設け、向かって左側は6畳と8畳の和室(床(とこ)・押入(おしいれ)付き)、右側は土間造(どまづくり)である。居住・収納・作業場と多様な機能を兼ね備えた、実用的な建物である。鴫谷家は、医術を家業とした家系と伝えられている。
222143 静岡県 藤枝市 十石坂観音堂 ジッコクザカカンノンドウ 市指定有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部1176-1 1 川原町町内会 1973-04-01 入母屋造(いりもやづくり)・瓦葺(かわらぶき)で、約4.8m四方の建造物である。正面に設けられた向拝(ごはい)は、上部の木鼻(きばな)に獅子や象の彫刻があるが、組物(くみもの)など細部の様式は簡素である。内陣と外陣を仕切る板戸3枚のうち、中央の戸は上半に菱格子(ひしごうし)が入る。外陣の天井は格天井(ごうてんじょう)で、彩色豊かな花鳥画などが描かれている。江戸時代後期の文化5年(1808)以前に建築され、もとは西行山最林寺(駿府の宝台院(ほうだいいん)末寺)境内の一堂であった。
222143 静岡県 藤枝市 厨子 ズシ 市指定有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部1176-1(十石坂観音堂) 2 川原町町内会 1973-04-01 十石坂観音堂内にある2基の厨子で、向かって左側の大型の厨子は入母屋造・?葺(こけらぶき)、軒は二重垂木(にじゅうたるき)、妻入(つまいり)で、社寺建築に準じる様式で造られた宮殿(くうでん)である。軒回り・組物・扉などに、彫刻・彩色が施され華やかである。右側の厨子は、宝形造(ほうぎょうづくり)・板葺で、扉・側面ともに黒漆塗である。これにおさめられていた西行法師坐像の像底に享保11年(1726)の銘があることや、技法や作風からみて製作された年代は江戸時代後期とみられる。
222143 静岡県 藤枝市 高根白山神社本殿 タカネハクサンジンジャホンデン 市指定有形文化財 建造物 静岡県藤枝市瀬戸ノ谷9964 1 高根白山神社 1982-11-01 高根山の中腹、標高約730mの山中に建つ、高根白山神社の本殿である。スギの大木がそびえる斜面を背後に控え、二段に築いた石垣の段上に築かれた大規模な朱塗の本殿である。建物は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、2間×3間の母屋(もや)の前面に向拝(ごはい)が付く形式である。斗?(ときょう)や蟇股(かえるまた)・手挟(てばさみ)などの彫刻部分には彩色があり、外壁面と内部の戸には壁画が描かれている。建築された年代は、建物の様式からみて江戸時代前期である。
222143 静岡県 藤枝市 田中城本丸櫓 タナカジョウホンマルヤグラ 市指定有形文化財 建造物 史跡田中城下屋敷 静岡県藤枝市田中三丁目14-1 (054)644-3345 1 市教委 1993-04-26 この櫓は、もと田中城の本丸にあり、高さ9尺(約2.7m)の石垣の上に建っていたといわれる。本丸の南東隅の石垣上に「御亭(おちん)」と呼ばれる2階建(高さ3間5尺/約6.9m)の建物があったことが城絵図にみえ、これに該当するもののようである。 明治維新によって、田中城には「幕末三舟(さんしゅう)」の一人として知られる高橋泥舟(でいしゅう)が入った。その配下にあった村山氏は、泥舟の四男を養子とした縁で、明治3年にこの櫓の払い下げを受け、移築して住宅とした。泥舟はこの建物を「光風霽月楼(こうふうせいげつろう)」と名付け扁額を掲げている。屋根はもともと?葺(こけらぶき)であったという。 田中城内より移築した建造物の中で、昔からもっとも著名な建物である。
222143 静岡県 藤枝市 長楽寺村郷蔵 チョウラクジムラゴウグラ 市指定有形文化財 建造物 史跡田中城下屋敷 静岡県藤枝市田中三丁目14-1 (054)644-3345 1 市教委 1993-04-26 郷蔵とは、年貢米や飢饉(ききん)に備えた非常米を保存するための蔵で、江戸時代には村ごとに置かれていた。長楽寺村の郷蔵は、明治10年頃に中西家に払い下げられた。この時、郷蔵の半分を切り取って移築したといわれ、本来は現状の倍の大きさであったとみられる。市内に現存する唯一の郷蔵であり、柱の墨書から天保14年(1843)に建て替えられた建物と判明した。
222143 静岡県 藤枝市 茶室 チャシツ 市指定有形文化財 建造物 史跡田中城下屋敷 静岡県藤枝市田中三丁目14-1 (054)644-3345 1 市教委 1993-04-26 この建物は、千歳(ちとせ)の村松家にあったものを明治38年頃、上伝馬町の奥野家が譲り受け、屋敷内に移築したという。もとは田中藩家老のものであったと伝えられ、下屋敷庭園内にあった「茶屋」とみられる。建物は和室2間から成る数寄屋(すきや)建築で、西側の4畳半の間と、東側に給仕口(きゆうじぐち)がついた6畳間が接続している。水屋や炉、躙口(にじりぐち)がなく、茶室風の建物と考えられる。
222143 静岡県 藤枝市 仲間部屋・厩 チュウゲンベヤ・ウマヤ 市指定有形文化財 建造物 史跡田中城下屋敷 静岡県藤枝市田中三丁目14-1 (054)644-3345 1 市教委 1993-04-26 大洲村の大塚家にあった長屋門は、古くから田中城内より移されたものと伝わっており、調査の結果、長屋門に付設された納屋がそれだと判明した。仲間部屋と厩とを1棟に仕立てた建物で、手前の右側の鬼瓦には、藩主本多家の家紋(立葵紋(たちあおいもん))が刻まれていた。また解体時に「安政六年」(1859)と書かれた板材が発見され、建築年代は江戸時代末期と推定される。
222143 静岡県 藤枝市 木喰上人恵比寿大黒天画像 モクジキショウニンエビスダイコクテンガゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町内谷 1 個人 1980-07-07 木喰上人が描いた絵画は珍しい。中央に酒徳利(とっくり)を携えた大黒天と、鯛を抱えた恵比寿を描いている。各々の像には「大こくも 七ふく内へ とりさかな」「目出たいを おさへてのむや 若えびす」の狂歌が添えられている。
222143 静岡県 藤枝市 聖観世音菩薩 ショウカンゼオンボサツ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市高柳2425 1 清林寺 1957-05-28 ヒノキの一本造、像高176cmの立像で、髪を結い上げた頭に宝冠をいただき、胸飾(むねかざり)・瓔珞(ようらく)などの装飾品を身につける。右手は、五本の指を伸ばして下方に向かって手のひらをさしだす与願印(よがんいん)を結び、左手には蓮華(れんげ)を持つ。身にまとった衣の衣紋((えもん)着物のひだ)の作風には、平安時代後期の特徴がみられ、市内では最も古い仏像のなかのひとつ。秘仏で、12年に一度、申(さる)年の10月に公開される。
222143 静岡県 藤枝市 木喰上人作毘沙門天 モクジキショウニンサクビシャモンテン 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市高田424 1 常楽院 1967-07-20 甲冑を身に着け、左手に宝塔を持ち、忿怒(ふんぬ)の形相で邪鬼(じゃき)を踏みつける毘沙門天像である。像を細かく観察すると、兜(かぶと)の墨彩のほか、甲冑部分には朱、宝塔には白色の彩色が残っている。 木喰上人が記した宿帳によれば、志太地域には西から入り、寛政12年(1800)6月12日に藤枝の「利八」に滞在し、翌13日には岡部の「イナ川ヤ藤次郎」に移っている。この像の背面墨書には、「寛政12年7月2日成就」とあり、志太地域でも比較的早い時期の作品である。
222143 静岡県 藤枝市 聖徳太子像 ショウトクタイシゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町内谷362 1 光泰寺 1972-07-01 聖徳太子像の作例は、他に県内の森町と新潟県内に1例が知られるのみで少ない。この像は太子2歳の時に、明け方に東を向いて合掌して「南無仏」と唱えて再拝したという説話にもとづく像である。木喰仏を見出した柳宗悦(やなぎむねよし)が絶賛したという。
222143 静岡県 藤枝市 准胝観音像 ジュンテイカンノンゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町内谷362 1 光泰寺 1972-07-01 像の高さ215.5cmの県内では最大の木喰仏である。准胝観音は衆生のために厄除け・延命・子宝祈願などの願いをかなえる仏である。もとは、光泰寺の薬師堂内に祀られていたと伝えられる。
222143 静岡県 藤枝市 子安地蔵菩薩像 コヤスジゾウボサツゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町三輪925 1 十輪寺 1972-07-01 木喰上人作の、宝珠を抱えた子どもを抱いた子安地蔵像である。像の前面のみの薄墨が塗られ、背面と台座部分は白木で残している。背面の墨書には「七月十二日ニ成就ス」とあり、同じく十輪寺に伝わる虚空蔵菩薩像墨書の翌日の日付が認められる。
222143 静岡県 藤枝市 虚空蔵菩薩像 コクウゾウボサツゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町三輪925 1 十輪寺 1972-07-01 虚空蔵菩薩は人々に智恵と福徳を与え、願いを満たして救う仏である。木喰上人作のこの像はシンプルな表現で、持物(じもつ)は左手の宝珠のみとなっている。
222143 静岡県 藤枝市 子安観音菩薩像 コヤスカンノンボサツゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町桂島964 1 梅林院 1972-07-01 木喰上人作で、背面の墨書には「子安地蔵大菩薩」とあるが、観音を表す「サ」の梵字が書かれ、表現も観音像である。同じ桂島地内の神入寺(じんぎょじ)にあったものを、廃寺により梅林院に移したと伝えられる。薬師如来像とともに「八月八日ニ成就ス」の墨書がある。
222143 静岡県 藤枝市 薬師如来像 ヤクシニョライゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町桂島964 1 梅林院 1972-07-01 木喰上人作で、用材の木目などからみて、子安観音像と同一の木から掘り出されたものである。同日に作られたためかやや作は荒い。観音像ともに頭部とまゆの墨彩が薬壷(やくこ)に比べて濃いのは、近代に塗られたためである。
222143 静岡県 藤枝市 薬師如来像 ヤクシニョライゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町三輪474 1 興福寺 1972-07-01 現在は廃寺となった瑠璃光山(るりこうさん)興福寺境内の薬師堂に祀られている。ヒノキの一木造、像高83cmの立像で、右手は指を伸ばし手のひらを正面に向ける施無畏院(せむいいん)で、左手に薬壷(やくこ)を持つ。作風から、製作された年代は平安時代後期とみられ、市内有数の古い仏像のひとつである。秘仏で、33年に一度公開される。興福寺は、江戸時代前期に曹洞宗に改宗される前は、法相宗(ほっそうしゅう)であった。
222143 静岡県 藤枝市 西行像 サイギョウゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町岡部663 1 専称寺 1972-07-01 平安時代末期の歌人である西行法師の旅装束の姿を模した像で、一木造、像高46cm、左手に菅笠を持ち右足を立てて座る。像底に銘があり、享保11年(1726)、江戸の柑本南浦昌基(こうじもとなんぼまさもと)が奉納したことがわかる。もとは十石坂観音堂内におさめられていたが、現在は専称寺に移されている。岡部宿には、笠懸(かさがけ)の松など、西行と弟子の西住(さいじゅう)にまつわる伝説が残されている。
222143 静岡県 藤枝市 五智如来像 ゴチニョライゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町内谷 5 個人 1973-04-01 仏の5つの智徳を5体の如来に対応させた金剛界(こんごうかい)五仏で、大日(だいにち)如来、阿?(あしゅく)如来、宝生(ほうしょう)如来、阿弥陀如来、本来は不空成就(ふくうじょうじゅ)如来であるがここでは釈迦如来となっている。石製の坐像で、像高105~107cm、石材は高草山山麓の三輪地区で産出する褐色凝灰岩である。かつて岡部宿西木戸付近にあった誓願寺に、田中藩家老の脇田正明(わきたまさあき)が宝永4年(1707)に奉納したと伝わる。現在、五智如来公園には明治時代に製作された五智如来が前列に祀られ、当初の像は、その後列に並んでいる。
222143 静岡県 藤枝市 不動尊像 フドウソンゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町岡部663 1 専称寺 1973-04-01 一木造の立像で、像高が54cmあり、鎌倉時代の作と推定される。右手に剣、左手に羂索(けんさく)をもち、不動明王特有の忿怒(ふんぬ)の形相が力強く表現されている。本来は岡部の立光山(りっこうざん)不動院(廃寺)に祀られていたが、現在は、専称寺の薬師堂に移管されている。不動尊の縁日には、元あった不動堂に戻して供養を行っている。
222143 静岡県 藤枝市 木造不動明王坐像 モクゾウフドウミョウオウザゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市藤枝三丁目16-14 1 鬼岩寺 1989-08-23 ヒノキの一木造(割矧ぎ(わりはぎ)、内刳り(うちぐり))で彩色が施されている。右手に剣、左手に羂索をもち、台座(瑟瑟座(しつしつざ))の上に結跏趺坐(けっかふざ)する(座禅のかたちに足を組んで座る)。目は彫眼で、見開いた右目で天を睨み、半開きの左目で地を睨む天地眼(てんちげん)である。製作された年代は、仏像の様式からみて12世紀(平安時代後期)である。毎年1月28日の不動尊大祭で公開される。
222143 静岡県 藤枝市 市部延命地蔵堂の石造六地蔵像 イチベエンメイジゾウドウノセキゾウロクジゾウゾウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市天王町二丁目403 6 市部第二町内会 2002-03-20 市部(いちべ)地区の延命地蔵堂に祀られている6体地蔵菩薩像である。石造で、それぞれ本体・蓮華座・台座の3つの部材からなる。坐像と立像が3体ずつあり、台座に「金剛願(がん)」「金剛宝(ほう)」「金剛悲(ひ)」「金剛幢(とう)」「預天賀(よてんが)」「放光王(ほうこうおう)」の像名が刻まれている。像の彫刻は素朴であるが一部に彩色もみられ、持物(じもつ)や印相(いんそう)は丁寧に表現されている。台座のひとつに「宝永5年」(1708)の年号があり、像を製作、或いは奉納した年とみられる。
222143 静岡県 藤枝市 花枝双蝶八花鏡 カシソウチョウハッカキョウ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市下之郷 1 個人 1956-12-01 大正13年(1924)、葉梨地区の下之郷字上半谷(はんや)の丘陵から出土した銅鏡で、奈良時代初期の横穴式石室の副葬品とみられる。直径7.3cm・厚さ0.4cmで、中央に花枝と蝶がそれぞれ向かい合い、外縁は8つの花弁をかたどった輪郭である。奈良時代に日本で製作されたもので、奈良の正倉院宝物や興福寺の鎮壇具(ちんだんぐ)(地鎮のための埋納物)にも同じものがあり、全国でも出土例は数例しかない。中央とのつながりをうかがわせる貴重な資料である。
222143 静岡県 藤枝市 鬼岩寺の鰐口 キガンジノワニグチ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市藤枝三丁目16-14 1 鬼岩寺 1965-08-09 直径24.3cm・厚さ13cmの鰐口で、中央の撞坐(つきざ)は、小円を中心に7つの円と三角形の文様が取り巻き、蓮華文(れんげもん)を表現している。外縁には銘文がめぐり、慶長16年(1611)に駿州山西(駿河国のうち、高草山から西の地域をさす)大工(鋳物の職人)若松惣右衛門が製作し、如意院・大聖院(当時、鬼岩寺にあった塔頭(たっちゅう))に奉納されたことが記されている。また、「不動」を表す種子(しゅじ)(梵字)が刻まれている。
222143 静岡県 藤枝市 山内家雛人形「御殿飾」 ヤマウチケヒナニンギョウ「ゴテンカザリ」 市指定有形文化財 美術工芸品 大旅籠柏屋歴史資料館 静岡県藤枝市岡部町岡部817 (054)667-0018 1 市教委 2000-11-29 旧岡部宿の山内家には、御殿・雛人形・雛道具が一揃いになった豪華な御殿飾りが伝来した。京都製で、箱書きには安政3年(1856)とある。御殿は京都御所を模して、紫宸殿(ししんでん)・清涼殿・宜陽殿(ぎようでん)の3棟を渡り廊下でつないで一組としたもので、節のないヒノキ材の白木造りである。現在は、内裏雛をはじめ45体の雛人形と、道具の牛車や籠、葛籠(つづら)・貝合(かいあわせ)箱などが残っている。
222143 静岡県 藤枝市 清水寺の金銅千手観音懸仏 キヨミズデラノコンドウセンジュカンノンカケボトケ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市原6-1 1 清水寺 2002-03-20 神仏習合の思想により、かつては境内の山王権現(さんのうごんげん)社に御神体として祀られていた。鋳銅製で、表面に鍍金(ときん)がみられる。本尊・光背・鏡板は別々に造られており、本尊は高さ18.0cm、光背は高さ22.7cm・幅15.5cm、鏡板の直径は33.2cmである。本尊は典型的な鎌倉時代の作風を示し、光背の銘文に「劫長二 壬戌」とあるのは弘長2年(1262年)で、この年代を裏付けている。
222143 静岡県 藤枝市 木喰上人託宣書軸 モクジキショウニンタクセンショジク 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町三輪925 1 十輪寺 1980-07-07 木喰上人による「諸神託宣」の書である。寛政12年(1800)志太地域に滞在した時の作品である。
222143 静岡県 藤枝市 木喰上人御題目書軸 モクジキショウニンオダイモクショジク 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町三輪 1 個人 1980-07-07 木喰上人による「六字名号」の書である。寛政12年(1800)志太地域に滞在した時の作品である。
222143 静岡県 藤枝市 木喰上人託宣書画 モクジキショウニンタクセンショガ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町内谷 4 個人 1980-07-07 木喰上人による「寒暑燥湿風」「龍乃目」「虚空蔵大菩薩名号」「諸神託宣」の書である。寛政12年(1800)7月3日或いは6日の年月日が書かれており、志太地域の仏像の製作時期と一致する。岡部宿の加宿・内谷村に滞在した時の作品である。
222143 静岡県 藤枝市 木喰上人短歌書軸 モクジキショウニンタンカショジク 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町子持坂 1 個人 1997-10-01 木喰上人による短歌「明 日月の心の神の あまてらは いのるこころも おなじ日月」の書である。寛政12年(1800)志太地域に滞在した時の作品である。
222143 静岡県 藤枝市 田中城絵図 タナカジョウエズ 市指定有形文化財 美術工芸品 藤枝市郷土博物館 静岡県藤枝市若王子500 (054)645-1100 1 市教委 1957-03-16 本丸跡に建つ西益津小学校に伝わった絵図で、江戸時代には城内の作事役所にあったといわれている。現在知られる田中城絵図のなかでも最も大きなものである。中央に田中城を置き、侍屋敷と城下町としての藤枝宿をも描きこみ、東海道の八幡橋から分岐して田中城へ通じる「御成(おなり)街道」も描いている。成立年代は明確ではないが、町家や田畑の描写が、正保元年(1644)に幕府が各藩に命じて提出させた「正保城絵図(しょうほうしろえず)」に似ていることから、その控図と考えられている。絵図を見ると城内外に記入された寸法や名称が擦り消されて再記入されいることから、藩内の公的な役割をもった城絵図と考えられる。
222143 静岡県 藤枝市 田中城古図 タナカジョウコズ 市指定有形文化財 美術工芸品 藤枝市郷土博物館 静岡県藤枝市若王子500 (054)645-1100 1 市教委 1966-03-18 絵図の中に「松平大膳正仕 寛永九年移当城」と添え書きがあり、寛永12年(1635)まで田中藩主であった松平忠重の時代の絵図であることがわかる。注目されるのは本丸に御殿が描かれていることで、これ以降の田中城絵図にはそれがない。絵図には「かき色之分 古屋敷、黄色の分 新屋敷」とあり、先にかき色の部分に侍屋敷が造られ、この頃に黄色の部分に侍屋敷が新設されていったことが判明する。また、この絵図以降は矢狭間(やはざま)・鉄砲狭間を備えた土塀が出現している。
222143 静岡県 藤枝市 蘿径記碑 ラケイキヒ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町岡部(坂下地蔵堂) 1 坂下町内会 1973-04-01 「蘿径」とは、「つたの道」という意味で、宇津ノ谷峠とつたの細道を顕彰した石碑である。碑文によれば、文政13年(1830)8月、羽倉簡堂(はぐらかんどう)が文章を書き、市河米?(いちかわべいあん)が清書した。羽倉簡堂は当時の駿府代官で、儒学者としても知られていた。市河米?は「幕末の三筆」の一人で、志太地域にも弟子がいた。蘿径記碑は宇津ノ谷峠の西側登り口に建てられたが、現在は登り口に近い坂下地蔵堂の一角に設置されている。
222143 静岡県 藤枝市 河野?園碑文 コウノソンエンヒブン 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町岡部663 1 専称寺 1973-04-01 河野?園は明和6年(1769)の生まれ。岡部宿の旅籠・河野屋の主人で、漢学者として知られる。江戸時代後半に各地で地誌の編さんが盛んになった時、駿河でも『駿河地誌』の発行が計画された。志太地域の調査は島田宿の桑原黙斎が担当し、河野?園が協力したが、調査の途中で?園は亡くなった。石碑の文と書は『駿河地誌』編さんの総裁・山梨稲川(やまなしとうせん)が行っている。
222143 静岡県 藤枝市 朝比奈家文書 アサヒナケモンジョ 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市岡部町殿 14 個人 1999-03-31 岡部町殿(との)の朝比奈家に伝わる今川家・武田家文書を中心とした文書群である。最も古い文書は、天文12年(1543)に今川義元により、以前からの領地を認められたものである。また、今川氏の後に駿河を領地とした武田家の文書、朝比奈家に伝わる「朝比奈粽(ちまき)」に関する彦坂九兵衛の書状など、当地域の戦国時代から江戸時代初期の歴史を解明する上で重要な文書群である。
222143 静岡県 藤枝市 岡部宿本陣仁藤文書 オカベシュクホンジンニトウモンジョ 市指定有形文化財 美術工芸品 藤枝市郷土博物館 静岡県藤枝市若王子500 (054)645-1100 17 市教委 2007-06-28 内野本陣の向かいにあった仁藤本陣に関する文書群である。この中には、慶長5年(1600)に豊臣秀吉に仕えた駿府城中村一氏(なかむらかずうじ)の家臣・横田村詮(よこたむらあき)が岡部新宿の問屋・仁藤に宛てた伝馬(てんま)の定書が含まれていることが重要である。
222143 静岡県 藤枝市 岡部家文書 オカベケモンジョ 市指定有形文化財 美術工芸品 藤枝市郷土博物館 静岡県藤枝市若王子500 (054)645-1100 5 市教委 2019-09-30 岡部氏は、平安時代後期に、駿河国岡部郷(藤枝市仮宿地域)に住んだのがルーツといわれる本市ゆかりの武士の一 族。代々伝わった古文書で、戦国時代のものがまとまって伝来することは珍しい。とくに、今川義元から出され、花蔵の乱のことが記された古文書は重要な歴史資料。
222143 静岡県 藤枝市 東海道藤枝宿往還家並絵図 トウカイドウフジエダシュクオウカンイエナミエズ 市指定有形文化財 美術工芸品 藤枝市郷土博物館 静岡県藤枝市若王子500 (054)645-1100 1 市教委 2019-09-30 江戸時代の東海道藤枝宿を描いた絵図で、天保13年(1842)の年号がはっきり書かれており貴重。本陣や問屋場(といやば)など宿場の施設や、一軒ごとの家々や寺院まで細かく正確に書き込まれていることが特徴で、宿場町の様子を詳しく知ることができ資料的価値が高い。
222143 静岡県 藤枝市 高札 コウサツ 市指定有形文化財 美術工芸品 藤枝市郷土博物館 静岡県藤枝市若王子500 (054)645-1100 1 市教委 1973-04-01 高札は幕府や藩が一般民衆に法度(はっと)や掟書き等を周知させるために木板に書き、高く掲げたもの。岡部宿では加宿内谷村の字小坂に高札場が置かれていた。現在は、岡部宿から丸子宿・藤枝宿までの駄賃高札をはじめ、切支丹(きりしたん)を禁止した高札・家族生活や近所づきあいの基本を定めた高札、徒党を組んで一揆を起こすことを禁じた高札等が残っている。
222143 静岡県 藤枝市 岡部長慎奉納絵馬 オカベナガチカホウノウエマ 市指定有形文化財 美術工芸品 藤枝市郷土博物館 静岡県藤枝市若王子500 (054)645-1100 1 若宮八幡宮 1999-03-31 表面の風化により、描かれた白馬は明瞭ではないが、「泉州岸和田城主岡部美濃守藤原長慎」と墨書が残る。岡部長慎(1787ー1803)は和泉国(現・大阪府)岸和田藩の藩主である。この絵馬が奉納された若宮八幡宮は、岡部長慎の先祖が発祥したと伝えられる仮宿地域に隣接し、岡部氏と関わる伝説が伝わる神社である。
222143 静岡県 藤枝市 鬼岩寺の石塔群 キガンジノセキトウグン 市指定有形文化財 美術工芸品 静岡県藤枝市藤枝三丁目16-14 1 鬼岩寺 2002-03-20 藤枝宿の西側にある鬼岩寺の石塔群には宝筐印塔(ほうきょういんとう)と五輪塔がある。これらの石塔は墓石もしくは供養塔として建立されたもので、部材数で1600点以上を数えることができる。南北朝から戦国時代までの中世石塔が大半を占めており、応安6年(1373)~応永12年(1405)の年号を刻んだ石塔が6点含まれていることも重要である。
222143 静岡県 藤枝市 関札 セキフダ 市指定有形文化財 美術工芸品 藤枝市郷土博物館 静岡県藤枝市若王子500 (054)645-1100 1 市教委 2007-06-28 岡部宿本陣の仁藤家に伝わった関札である。関札は大名行列などの通過に先立ち、宿泊先や休憩先の本陣・旅籠(はたご)の前に立てておく木板である。この関札には「松平主税頭(ちからのかみ)休」と記されており、三葉葵紋入り黒漆塗りの二重箱に、「有徳院様」(8代将軍・徳川吉宗の諡名(おくりな))の関札であることを説明する文書とともに収められている。松平主税頭とは、紀州藩時代の若き日の吉宗のことである。
222143 静岡県 藤枝市 瀬戸の染飯版木 セトノソメイイハンギ 市指定有形民俗文化財 その他 静岡県藤枝市内瀬戸 1 個人 1959-01-21 染飯は、クチナシの実で黄色く染めた強飯(こわいい)(糯米(もちごめ)を蒸したもの)を摺りつぶし、小判形などに薄く延ばし干したものである。東海道に面した瀬戸の茶屋(上青島・下青島付近)で古くから売られてきた東海道の名物である。乾燥したクチナシの実は消炎・解熱などに効く漢方薬であり、その汁で染めた染飯は、旅人にとって足腰の疲れをとる食べ物として評判がよかったという。「名物 瀬戸御染飯」と彫られた壺型の版木は、明治時代中期まで染飯を商ってきた石野家に残されている。染飯を入れた紙袋や包紙に押して用いた。
222143 静岡県 藤枝市 志太郡衙跡 シダグンガアト 国指定史跡 志太郡衙資料館 静岡県藤枝市南駿河台1丁目12 (054)646-6525 1 藤枝市 1980-10-22 遺跡は丘陵によって東西と南側を囲まれた谷に位置している。谷は、谷口で幅約100メートル、奥行約150メートルの規模をもつが、谷の入口部分は微高地を形成し、奥部が低湿地となっている。建物跡などは微高地上に集中しており、掘立柱建物30のほか、井戸・板塀・道路などがみとめられる。建物は東西あるいは南北に棟の方位をそろえ、役所らしい整然とした配置をとっており、およそ8世紀前半から9世紀前半にかけて3期にわたって建て替えられたとみられる。規模の大きい建物を中心として、井戸をもつ広場やそのほかの建物が並び郡役所の中枢部分を構成していると推定される。建物群の東辺及び南辺は土塁状施設あるいは板塀によって囲まれる。板塀の外側にはり、幅4 06メートルの道路があり礫がまばらに敷かれている。道路の南側は低湿地でここから多くの遺物が出土した。とくに注目されるのは、「志太」「志大領」「主帳」「志太厨」「郡」などと記した200点をこえる墨書土器の存在で、これらによって、駿河国の志太郡衙にかかわる施設の跡であると裏付けられた。古代の地方官衙の実態を知るうえで重要な意義を有する遺跡である。
222143 静岡県 藤枝市 東海道宇津ノ谷峠越 トウカイドウウツノヤトウゲゴエ 国指定史跡 静岡県藤枝市岡部町岡部・静岡市駿河区宇津ノ谷 1 藤枝市・静岡市 他 2010-02-22 宇津ノ谷峠は静岡市と藤枝市岡部町との境に位置する峠である。『伊勢物語』により知られる「蔦(つた)の細道」に代わり、永禄3年(1560)の今川義元の西上や天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めなどでは、この宇津ノ谷峠越の道が使われ、慶長6年(1602)の東海道宿駅制度の確立により、近世を通じて東海道として利用された。峠の西側には天保6年(1835)に再興された「ひげ題目碑(だいもくひ)」が傍らに建ち、往時の道もよく残されている。近世東海道の一部として、我が国近世の交通の歴史を知る上で貴重である。
222143 静岡県 藤枝市 明治宇津ノ谷隧道 メイジウツノヤズイドウ 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部・静岡市駿河区宇津ノ谷 1 藤枝市・静岡市 1997-05-07 宇津ノ谷峠付近の山を掘り抜き、明治37年(1904)に完成したレンガ造りのトンネルである。長さ203.4m・高さ3.9m・幅は4.0m、アーチ形のレンガ積みは4重となり堅牢で、技術的にも高い評価を受けている。宇津ノ谷峠にはこれに先立って明治7年に着工し、同9年に完成したトンネルがあった。これは岡部側が民家の屋根のような合掌形をした、幅3間(5.4m)、高さが2間3尺(4.14m)のトンネルであった。日本で最初の有料トンネルとして知られたが、明治29年にトンネル内の照明用カンテラの火による火災で焼け落ちてしまった。この最初のトンネルは、旧岡部宿の本陣・仁藤延吉や大旅籠柏屋の山内栄作、内谷村の豪農・杉山喜平次ら7人が発起人となり、民間事業として施工された。現在残るトンネルは県事業として建設され、中央が市境で北側は静岡市となる。宇津ノ谷峠には明治・大正・昭和・平成の各時代のトンネルが揃っている点が注目される。
222143 静岡県 藤枝市 大旅籠柏屋 オオハタゴカシバヤ 国登録有形文化財 建造物 大旅籠柏屋歴史資料館 静岡県藤枝市岡部町岡部817 (054)667-0018 1 藤枝市 1998-10-09 天保7年(1836)に完成した岡部宿の大旅籠である。宿場の旅籠は規模により大旅籠・中旅籠・小旅籠に分けられていて、岡部宿のように大旅籠の建物が残っている例は全国的にも珍しい。現在は瓦屋根となっているが、江戸時代には板葺きであったと考えられる。正面から、土間をはさんで右側が客部屋で左が家族用の居宅となっていた。客部屋は1階に8畳間が5部屋あり、2階には8畳間が2部屋ある。最も上等の部屋には床間・違棚・付書院(つけしょいん)がしつらえてある。
222143 静岡県 藤枝市 木和田川砂防一号堰堤 キワダガワサボウイチゴウエンテイ 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 静岡県 2002-07-16 堰堤は水流や土砂をせき止めるために、河川や渓谷を横断して築く堤防のことをいう。明治43年(1910)8月9日の豪雨により木和田川上流の斜面が崩壊して下流の民家や田畑に大きな被害が出た。翌年、内務省から木和田川周辺は「砂防法」を適用し、「砂防設備を要する土地」に指定された。その後、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケが招かれ、木和田川には8基の巨石積堰堤が築かれた。これはロックヒルダム方式という工法によるものであるが、地元ではその形状から「兜堰堤(かぶとえんてい)」と呼んでいる。 砂防堰堤工事は県事業として、明治45年から大正3年にかけて実施された。また、最上部には2基の流路工が築かれている。なお、工事に伴う石集めは地元住民に採石の自由を与えて、ショイコや馬力で運び、周辺の石工を集めて築いたと伝えられる。
222143 静岡県 藤枝市 木和田川砂防二号堰堤 キワダガワサボウニゴウエンテイ 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 静岡県 2002-07-16 堰堤は水流や土砂をせき止めるために、河川や渓谷を横断して築く堤防のことをいう。明治43年(1910)8月9日の豪雨により木和田川上流の斜面が崩壊して下流の民家や田畑に大きな被害が出た。翌年、内務省から木和田川周辺は「砂防法」を適用し、「砂防設備を要する土地」に指定された。その後、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケが招かれ、木和田川には8基の巨石積堰堤が築かれた。これはロックヒルダム方式という工法によるものであるが、地元ではその形状から「兜堰堤(かぶとえんてい)」と呼んでいる。 砂防堰堤工事は県事業として、明治45年から大正3年にかけて実施された。また、最上部には2基の流路工が築かれている。なお、工事に伴う石集めは地元住民に採石の自由を与えて、ショイコや馬力で運び、周辺の石工を集めて築いたと伝えられる。
222143 静岡県 藤枝市 木和田川砂防三号堰堤 キワダガワサボウサンゴウエンテイ 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 静岡県 2002-07-16 堰堤は水流や土砂をせき止めるために、河川や渓谷を横断して築く堤防のことをいう。明治43年(1910)8月9日の豪雨により木和田川上流の斜面が崩壊して下流の民家や田畑に大きな被害が出た。翌年、内務省から木和田川周辺は「砂防法」を適用し、「砂防設備を要する土地」に指定された。その後、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケが招かれ、木和田川には8基の巨石積堰堤が築かれた。これはロックヒルダム方式という工法によるものであるが、地元ではその形状から「兜堰堤(かぶとえんてい)」と呼んでいる。 砂防堰堤工事は県事業として、明治45年から大正3年にかけて実施された。また、最上部には2基の流路工が築かれている。なお、工事に伴う石集めは地元住民に採石の自由を与えて、ショイコや馬力で運び、周辺の石工を集めて築いたと伝えられる。
222143 静岡県 藤枝市 木和田川砂防四号堰堤 キワダガワサボウヨンゴウエンテイ 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 静岡県 2002-07-16 堰堤は水流や土砂をせき止めるために、河川や渓谷を横断して築く堤防のことをいう。明治43年(1910)8月9日の豪雨により木和田川上流の斜面が崩壊して下流の民家や田畑に大きな被害が出た。翌年、内務省から木和田川周辺は「砂防法」を適用し、「砂防設備を要する土地」に指定された。その後、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケが招かれ、木和田川には8基の巨石積堰堤が築かれた。これはロックヒルダム方式という工法によるものであるが、地元ではその形状から「兜堰堤(かぶとえんてい)」と呼んでいる。 砂防堰堤工事は県事業として、明治45年から大正3年にかけて実施された。また、最上部には2基の流路工が築かれている。なお、工事に伴う石集めは地元住民に採石の自由を与えて、ショイコや馬力で運び、周辺の石工を集めて築いたと伝えられる。
222143 静岡県 藤枝市 木和田川砂防五号堰堤 キワダガワサボウゴゴウエンテイ 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 静岡県 2002-07-16 堰堤は水流や土砂をせき止めるために、河川や渓谷を横断して築く堤防のことをいう。明治43年(1910)8月9日の豪雨により木和田川上流の斜面が崩壊して下流の民家や田畑に大きな被害が出た。翌年、内務省から木和田川周辺は「砂防法」を適用し、「砂防設備を要する土地」に指定された。その後、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケが招かれ、木和田川には8基の巨石積堰堤が築かれた。これはロックヒルダム方式という工法によるものであるが、地元ではその形状から「兜堰堤(かぶとえんてい)」と呼んでいる。 砂防堰堤工事は県事業として、明治45年から大正3年にかけて実施された。また、最上部には2基の流路工が築かれている。なお、工事に伴う石集めは地元住民に採石の自由を与えて、ショイコや馬力で運び、周辺の石工を集めて築いたと伝えられる。
222143 静岡県 藤枝市 木和田川砂防六号堰堤 キワダガワサボウロクゴウエンテイ 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 静岡県 2002-07-16 堰堤は水流や土砂をせき止めるために、河川や渓谷を横断して築く堤防のことをいう。明治43年(1910)8月9日の豪雨により木和田川上流の斜面が崩壊して下流の民家や田畑に大きな被害が出た。翌年、内務省から木和田川周辺は「砂防法」を適用し、「砂防設備を要する土地」に指定された。その後、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケが招かれ、木和田川には8基の巨石積堰堤が築かれた。これはロックヒルダム方式という工法によるものであるが、地元ではその形状から「兜堰堤(かぶとえんてい)」と呼んでいる。 砂防堰堤工事は県事業として、明治45年から大正3年にかけて実施された。また、最上部には2基の流路工が築かれている。なお、工事に伴う石集めは地元住民に採石の自由を与えて、ショイコや馬力で運び、周辺の石工を集めて築いたと伝えられる。
222143 静岡県 藤枝市 木和田川砂防七号堰堤 キワダガワサボウナナゴウエンテイ 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 静岡県 2002-07-16 堰堤は水流や土砂をせき止めるために、河川や渓谷を横断して築く堤防のことをいう。明治43年(1910)8月9日の豪雨により木和田川上流の斜面が崩壊して下流の民家や田畑に大きな被害が出た。翌年、内務省から木和田川周辺は「砂防法」を適用し、「砂防設備を要する土地」に指定された。その後、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケが招かれ、木和田川には8基の巨石積堰堤が築かれた。これはロックヒルダム方式という工法によるものであるが、地元ではその形状から「兜堰堤(かぶとえんてい)」と呼んでいる。 砂防堰堤工事は県事業として、明治45年から大正3年にかけて実施された。また、最上部には2基の流路工が築かれている。なお、工事に伴う石集めは地元住民に採石の自由を与えて、ショイコや馬力で運び、周辺の石工を集めて築いたと伝えられる。
222143 静岡県 藤枝市 木和田川砂防八号堰堤 キワダガワサボウハチゴウエンテイ 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 静岡県 2002-07-16 堰堤は水流や土砂をせき止めるために、河川や渓谷を横断して築く堤防のことをいう。明治43年(1910)8月9日の豪雨により木和田川上流の斜面が崩壊して下流の民家や田畑に大きな被害が出た。翌年、内務省から木和田川周辺は「砂防法」を適用し、「砂防設備を要する土地」に指定された。その後、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケが招かれ、木和田川には8基の巨石積堰堤が築かれた。これはロックヒルダム方式という工法によるものであるが、地元ではその形状から「兜堰堤(かぶとえんてい)」と呼んでいる。 砂防堰堤工事は県事業として、明治45年から大正3年にかけて実施された。また、最上部には2基の流路工が築かれている。なお、工事に伴う石集めは地元住民に採石の自由を与えて、ショイコや馬力で運び、周辺の石工を集めて築いたと伝えられる。
222143 静岡県 藤枝市 木和田川一号流路工 キワダガワイチゴウリュウロコウ 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 静岡県 2002-09-03 豪雨の時に雨水の流路を確保するための石積の水路で、木和田川上流の木和田山の山腹に築かれている。底面と側面に石を積んだ2基の流路工が木和田川の砂防堰堤工事とともに施工された。特に一号流路工は中央に小堰堤をつくりだした長さ70m、幅6.5mの大規模なものである。 平成元~12年にかけて静岡県により「木和田川砂防堰堤整備事業」が、また、平成2~8年にかけて岡部町による「つたの細道公園整備事業」も行われ、現在では、木和田川の堰堤周辺は砂防学習と散策の場所となっている。
222143 静岡県 藤枝市 木和田川二号流路工 キワダガワニゴウリュウロコウ 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市岡部町岡部 1 静岡県 2002-09-03 豪雨の時に雨水の流路を確保するための石積の水路で、木和田川上流の木和田山の山腹に築かれている。底面と側面に石を積んだ2基の流路工が木和田川の砂防堰堤工事とともに施工された。特に一号流路工は中央に小堰堤をつくりだした長さ70m、幅6.5mの大規模なものである。 平成元~12年にかけて静岡県により「木和田川砂防堰堤整備事業」が、また、平成2~8年にかけて岡部町による「つたの細道公園整備事業」も行われ、現在では、木和田川の堰堤周辺は砂防学習と散策の場所となっている。
222143 静岡県 藤枝市 潮生館本館 チョウセイカンホンカン 国登録有形文化財 建造物 静岡県藤枝市志太600-2-2 1 個人 2004-11-08 志太温泉の礎(いしずえ)となった旅館の本館で、木造2階建・入母屋造(いりもやづくり)・桟瓦葺(さんがわらぶき)で、建築面積は198㎡である。1階は板間の広いホールや帳場などのほか、南から西へL字型に廊下を取り、これに沿って客室が配置されている。各室とも曲木・変木を使った風雅な意匠で、近代和風建築の技が集約されている。現存する近代和風建築は伊豆地方に多いが、中部地区では数少ない貴重な建造物である。
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