都道府県コード又は市区町村コード |
NO |
都道府県名 |
市区町村名 |
名称 |
名称_カナ |
名称_通称 |
名称_英語 |
文化財分類 |
種類 |
場所名称 |
住所 |
方書 |
緯度 |
経度 |
電話番号 |
内線番号 |
員数(数) |
員数(単位) |
法人番号 |
所有者等 |
文化財指定日 |
利用可能曜日 |
開始時間 |
終了時間 |
利用可能日時特記事項 |
画像 |
画像_ライセンス |
概要 |
概要_英語 |
説明 |
説明_英語 |
URL |
備考 |
220001 |
1 |
静岡県 |
浜松市 |
将軍杉 |
ショウグンスギ |
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記念物 |
天然記念物 |
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浜松市天竜区横川字沖ノ島333 |
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一 |
本 |
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1952/4/1 |
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征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷との戦いの途上、ここで昼食をとったときに地面に挿した箸がこの大樹になったという。力強い、堂々とした姿である。
目通10.6m、樹高39.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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随時 |
220001 |
2 |
静岡県 |
長泉町 |
下土狩の公孫樹 |
シモトガリノイチョウ |
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記念物 |
天然記念物 |
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一 |
本 |
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1952/4/1 |
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目通8.3m、樹高33.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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個人敷地内のため見学の際は一声かけてください |
220001 |
4 |
静岡県 |
浜松市 |
法橋の松 |
ホウキョウノマツ |
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記念物 |
天然記念物 |
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浜松市東区天竜川町179 |
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一 |
本 |
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1952/4/1 |
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目通5.0m、樹高13.5m、枝張り(長径)18.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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随時 |
220001 |
6 |
静岡県 |
下田市 |
田牛ハマオモト自生地 |
トウジハマオモトジセイチ |
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記念物 |
天然記念物 |
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下田市田牛字海後ノ浜 |
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1952/4/1 |
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オモト(万年青)に較べると葉の色は明るく、はるかに大きい。またその大きさに見合う白い優雅な花を咲かすので好まれ、掘り取られてしまうことが多かったらしい。かつては伊豆半島南部に数多くの自生地があったのだが、少なくなってしまった。
ここ田牛には自生のハマオモトがよく保存され、あまたの花が咲き誇っている。ハマとは言うまでもなく海岸をさす。民家の庭などにも咲いているが、やはりこの花は海の近くがよく似合うようだ。別名ハマユウ。
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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220001 |
7 |
静岡県 |
松崎町 |
松崎伊那下神社の公孫樹 |
マツザキイナシモジンジャノイチョウ |
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記念物 |
天然記念物 |
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松崎町松崎28 |
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0558-42-2268 |
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一 |
本 |
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伊那下神社 |
1952/4/1 |
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イチョウは雌雄異株で、伊那下神社のイチョウはメスである。メスにはギンナンが実るが、それにはオスの花粉が必要だ。雌花に付着した花粉は半年ちかく雌花の栄養で養われる。その後、花粉から精子が出て泳ぎ出し雌花の卵細胞と結びつく。イチョウの精子は明治29年、平瀬作五郎によって発見された。
目通7.0m、樹高20.0m、枝張り(長径)22.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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220001 |
8 |
静岡県 |
函南町 |
天地神社の樟 |
テンチジンジャノクス |
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記念物 |
天然記念物 |
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函南町平井1124 |
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一 |
株 |
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天地神社 |
1952/4/1 |
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根廻17.8m、目通10.6m、樹高39.0m、枝張り(長径)30.6m(「函南町の文化財」(平成5年刊行)より引用) |
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随時※火器厳禁 |
220001 |
9 |
静岡県 |
浜松市 |
犀ヶ崖古戦場 |
サイガガケコセンジョウ |
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記念物 |
史跡 |
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浜松市中区鹿谷町582、583、587、588、589、590、618-1、618-2、619、627、628、641-46、641-64、641-71、無番地6筆、布橋一丁目41、139-2 |
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1952/4/1 |
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浜松城跡の西北約1kmにある渓谷で、この谷地形が長さ約120m、幅45mにわたって、史跡指定されています。
浜松市の北方にあたる三方原台地で、元亀3年(1572)12月22日に徳川家康と武田信玄による戦がありました。これが、世に言う「三方原合戦」です。家康は、この戦に大敗して浜松城へ逃げ帰りました。夜になって徳川軍は、犀ヶ岳の近くに陣取った武田軍を急襲したところ、地形に詳しくなかった武田軍は不意をつかれ、誤って崖下に落ち、多くのの人馬が死んだと言い伝えられています。このとき、崖に布製の橋を掛ける計略を用いたと言う伝承も残されています。
三方原台地が侵食されて出来上がった渓谷で、台地の西に向かって深く入り込んだ谷地形を作っています。渓谷は全体で東西に長さ約2kmで、犀ヶ崖付近では幅は50m程で、両岸は絶壁となって谷底までは40m余りあったことが知られています。しかし、古戦場であった渓谷も、周囲が宅地化し道路拡幅等で埋め立てられたりして、崩壊防止のため護岸の施された史跡指定地が約120m、雑木林と竹薮でおおわれた谷地形として残るのみとなりました。
(静岡県教育委員会1997『静岡県文化財ガイドブック中世以降の史跡』より) |
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随時駐車場(犀ヶ崖資料館駐車場)午前9時-午後5時(休館日は駐車不可) |
220001 |
10 |
静岡県 |
浜松市 |
雲立の樟 |
クモダチノクス |
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記念物 |
天然記念物 |
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浜松市中区八幡町2 |
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一 |
本 |
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1952/4/1 |
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瑞雲を呼んだ霊木という伝説のある樹だが、今は自分自身が雲になってしまっているようだ。樹自体がやわらかに成長していく雲のようだ。
根廻14.0m、目通13.1m、樹高15.2m、枝張り(長径)23.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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随時 |
220001 |
11 |
静岡県 |
浜松市 |
天台鳥薬群落地 |
テンダイウヤクグンラクチ |
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記念物 |
天然記念物 |
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浜松市北区細江町気賀996 |
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1952/4/1 |
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天台烏薬と書く。名のとおり薬草(木)である。江戸時代この地の領主であった近藤氏が植えたものが起源。細江神社裏手の山のそこここに株となって生えているものが見つけやすい。
珍しい植物ということで盗難に遭うことが心配されるのだが、世の平安を祈り人々の幸福を願って一本一本植えた昔の人の心をしのぶべきではなかろうか。
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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随時 |
220001 |
14 |
静岡県 |
浜松市 |
春野杉 |
ハルノスギ |
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記念物 |
天然記念物 |
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浜松市天竜区春野町花島22-1 |
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一 |
本 |
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1952/4/1 |
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目通14.0、樹高43.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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随時 |
220001 |
15 |
静岡県 |
森町 |
次郎柿原木 |
ジロウガキゲンボク |
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記念物 |
天然記念物 |
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森町森598-2 |
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一 |
本 |
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森町 |
1952/4/1 |
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ペリー来航数年前の弘化年間、松本次郎吉が太田川上流から流れてきた柿の幼木を裏庭に植えたものという。その木は明治2年正月の火事で焼けてしまったが、翌春にその根から芽を出し成長し、現在に至るという。
次郎柿の実はやや偏平で四角く4本の窪みがあり、また種が少なく今では甘柿の代表品種だが、明治25年頃まではこの地方だけに限られていたものである。
目通1.2m、樹高6.8m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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随時 |
220001 |
18 |
静岡県 |
静岡市 |
家康手植の蜜柑 |
イエヤステウエノミカン |
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記念物 |
天然記念物 |
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静岡市葵区追手町駿府公園内 |
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一 |
株 |
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静岡市 |
1952/4/1 |
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戦国の覇者徳川家康は青春時代そして晩年という、ある意味ではその人間の個性が最も表出する年代をこの静岡の地で過ごした。
この蜜柑の木を実際に家康が植えたという確たる証拠はもちろんないのだが、家康の名を冠した天然記念物の樹木があるのもまた、静岡らしくゆかしいことである。
根廻2.6m、樹高5.2m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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220001 |
20 |
静岡県 |
袋井市 |
油山寺の御霊杉 |
ユサンジノミタマスギ |
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記念物 |
天然記念物 |
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袋井市村松字境前3 |
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0538-42-3633 |
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一 |
本 |
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宗教法人油山寺 |
1952/4/1 |
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樹皮が格子状になっている杉。つまり、幹は松、葉は杉という変わりだねである。
根廻2.8m、目通2.8m、樹高16.4m、枝張り(長径)5.5m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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随時 |
220001 |
23 |
静岡県 |
掛川市 |
龍華院大猷院霊屋 |
リュウゲインタイユウインオタマヤ |
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有形文化財 |
建造物 |
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掛川市掛川1104 |
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054-626-0905 |
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1 |
棟 |
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龍華院
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1954/1/30 |
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明暦2年(1656)、時の掛川城主北条出羽守氏重が、3代将軍家光(大猷院殿)の霊牌を祀るために建立した霊廟に始まる。その時の霊屋は文化15年(1818)に春日厨子と霊牌を残して焼失したが、文政5年(1822)に現存する霊屋が再建完成された。方三間、宝形造、向拝1間、桟瓦葺の小振りな御堂で、全体に漆塗りが施されている。焼け残った春日厨子は、附指定となっている。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
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随時要事前連絡(普段不在のため法華寺まで要事前連絡) |
220001 |
24 |
静岡県 |
富士宮市 |
西山本門寺本堂厨子 |
ニシヤマホンモンジホンドウズシ |
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有形文化財 |
建造物 |
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富士宮市西山671 |
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一 |
基 |
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本門寺 |
1954/1/30 |
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西山本門寺は、日蓮宗富士五山の一つである。その本堂に安置された厨子で、内部には宗祖日蓮上人の坐像が納められている。入母屋造、妻入りの形式を採り、正面軒先に唐破風を付けている。扇垂木。詰組の斗?など細部に及んで禅宗様で統一され、さらに全体に漆塗りを施して緻密かつ華麗に仕上げられている。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
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要事前連絡(団体のみ) |
220001 |
25 |
静岡県 |
富士宮市 |
富士山本宮浅間大社社殿弊殿、拝殿、樓門、透塀二棟 |
フジサンホングウセンゲンタイシャシャデンヘイデン、ハイデン、ロウモン、スカシベイフタムネ |
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有形文化財 |
建造物 |
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富士宮市宮町1-1 |
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五 |
棟 |
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富士山本宮浅間大社 |
1954/1/30 |
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全国で1300社余あるといわれる浅間神社の総本宮で、駿河国の一宮である。富士山そのものを御神体とし、主祭神は木花開耶姫命である。徳川家康の庇護を受けて慶長9年(1604)から造営が始まり、同11年に正遷宮を行っている。この時に建てられたのが、現存する社殿である。桁行5間、梁間4間の下層の上に三間社流造の社殿が載る重層の本殿で、他に類を見ない特徴的な社殿形式を採ることから「浅間造」と呼ばれている。「浅間造」の名称で呼ばれる建物はこれを置いて他は無く、唯一の遺構である。本殿の前方に正面入母屋造、背面切妻造の拝殿を配し、本殿との間の造り合いを幣殿とする。拝殿は本殿と同時期の建立になるが、向拝部分は後世の付加と考えられる。楼門は三間一戸、入母屋造、檜皮葺で、拝殿・幣殿・透塀2棟と共に県指定となっている。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より)
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午前6時-午後7時(時期による変更あり)外観のみ |
220001 |
26 |
静岡県 |
西伊豆町 |
木造釈迦如来坐像・木造阿弥陀如来坐像・木造薬師如来坐像 |
モクゾウシャカニョライザゾウ・モクゾウアミダニョライザゾウ・モクゾウヤクシニョライザゾウ |
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有形文化財 |
彫刻 |
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西伊豆町仁科字三堂2120-1 |
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三 |
躯 |
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堂ヶ島薬師堂 |
1954/1/30 |
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・高中品、二尺二寸五分定印、二尺一寸六分・高二尺一寸
各像とも室町時代の檜材寄木造。重たげな衲衣、鈍重な表情、ずんぐりしたプロポーションなど地方色豊かな仏像である。
(静岡県教育委員会1998『文化財ガイドブック彫刻編』より) |
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随時午前8時-午後5時 |
220001 |
27 |
静岡県 |
熱海市 |
紙本水墨山水図狩野之信筆 |
シホンスイボクサンスイズカノウユキノブヒツ |
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有形文化財 |
絵画 |
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一 |
幅 |
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1954/1/30 |
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狩野之信は正信の子で、画法を父に学んで山水、人物、花鳥等あらゆるものを能くしたが、現存する彼の作品は極めて少なく、大仙院の四季耕作図襖絵が知られている程度で、耕作図としてはこれが一番古い。この山水画も狩野派の画法を如実に示すものでまことに端正で、写実的に描かれているが、いかにもやさしい。
印章は上に長方形の?隠印と、下に鼎形の之信印が押されている。 |
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220001 |
28 |
静岡県 |
静岡市 |
三十六歌仙懸額青蓮院尊純法親王書狩野探幽画 |
サンジュウロッカセンケンガクショウレンインソンジュンホウシンノウショカノウタンユウガ |
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有形文化財 |
絵画 |
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静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 |
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十 |
八面 |
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宗教法人神部神社浅間神社大歳御祖神社 |
1954/1/30 |
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三十六歌仙は藤原公任の選んだ歌人。万葉歌人は3人だけで、あとは古今や後撰集の時期の歌人となっていて、公任の時代の嗜好が反映されている。
静岡浅間神社の懸額は、36のうちその半分の18枚が残る。上畳上の歌仙の画は、狩野探幽の33歳のころの作、和歌は青蓮院尊純法親王の書で、それぞれ当代第一級の人物、裏書によれば、寛永11(1634)年、徳川家光が奉納したもの。(静岡県教育委員会1995『ふるさと静岡県文化財写真集5絵画・書跡・典籍・古文書編』より) |
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220001 |
30 |
静岡県 |
沼津市 |
白隠禅師墓 |
ハクインゼンジハカ |
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記念物 |
史跡 |
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沼津市原128 |
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一 |
基 |
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松蔭寺 |
1954/1/30 |
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松蔭寺の住職であった白隠禅師は、貞享2年(1685)に原宿の長沢氏の3男として生まれ、幼名を岩次郎といいました。15歳の時松蔭寺で出家し、19歳より旅に出て諸国を修行しました。500年に1人と言われるほどの名僧となり、その名は全国に知れ渡りました。「駿河には過ぎたるものが2つあり、富士のお山に原の白隠」とうたわれ、臨済寺中興の祖と仰がれるようになりました。また禅画にも堪能で、釈迦・達磨・観音などを好んで描きました。東海道を往来する大名の中には白隠に教えを乞う者や挨拶に立ち寄る者も多く、備前国岡山の藩主池田候から贈られた備前焼きのすり鉢の話は有名で「白隠のすり鉢」として現在も境内の松の上に残っています。白隠禅師は、明和5年(1768)84歳で亡くなり、松蔭寺に葬られました。
白隠の墓のある松蔭寺は、東海道原宿の街道沿いに位置しています。
山門は、この地方では他に例を見ない石瓦葺きで、白隠禅師の創建と伝えられています。
(静岡県教育委員会1997『静岡県文化財ガイドブック中世以降の史跡』より) |
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220001 |
32 |
静岡県 |
静岡市 |
木枯森 |
コガラシノモリ |
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記念物 |
名勝 |
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静岡市葵区羽鳥 |
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八幡神社 |
1954/1/30 |
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安倍川の支流藁科川の川中島だが、土砂が堆積した州ではなく、堅い岩盤が浸食を受けながらも残ったものである。少し下流にも舟山(ふなやま)という同様なものがある。こちらのほうはJR線や国道1号線からも望める。
古くから歌の名所として都にも知られ、緑の木立に囲まれた神社は、国学者野崎昌樹の建てた本居宣長の撰文の碑がある。
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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220001 |
33 |
静岡県 |
浜松市 |
浜名湖 |
ハマナコ |
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記念物 |
名勝 |
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浜松市西区、浜松市北区、湖西市 |
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1954/1/30 |
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静岡県西部、大井川以西の地は古くは遠江(とおとうみ)と呼ばれた。遠江とは「遠つ近江」で、つまり都から遠く離れた淡水の海であるところという意味。だから浜名湖は古くから静岡県をよく示すシンボルといえよう。
浜名湖は北側ほど水深が深くなっており、また湖岸も入り組み変化にとんだ姿を見せる。この北側の部分が名勝に指定されている。もともとは淡水の湖であったが、明応7年(1498)の地震で外海とつながり海水が混じって汽水となった。
外の荒々しい遠州灘とは異なる静かな湖面に、背後の山々も穏やかにのびやかに広がる。
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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随時 |
220001 |
33 |
静岡県 |
湖西市 |
浜名湖 |
ハマナコ |
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記念物 |
名勝 |
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1954/1/30 |
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静岡県西部、大井川以西の地は古くは遠江(とおとうみ)と呼ばれた。遠江とは「遠つ近江」で、つまり都から遠く離れた淡水の海であるところという意味。だから浜名湖は古くから静岡県をよく示すシンボルといえよう。
浜名湖は北側ほど水深が深くなっており、また湖岸も入り組み変化にとんだ姿を見せる。この北側の部分が名勝に指定されている。もともとは淡水の湖であったことは先に述べたが、明応7年(1498)の地震で外海とつながり海水が混じって汽水となった。
外の荒々しい遠州灘とは異なる静かな湖面に、背後の山々も穏やかにのびやかに広がる。
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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220001 |
34 |
静岡県 |
御前崎市 |
桜ケ池 |
サクラガイケ |
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記念物 |
名勝 |
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御前崎市佐倉5156-2、5156-1、5162、5199-2、5199-3、5161、5167、5153 |
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池宮神社 |
1954/1/30 |
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約2万年前に砂によってせき止められた堰止湖。面積は約2万㎡。
竜神が棲むとも、信州の諏訪湖に通じているともいう。竜神に供えるため、櫃にいれた赤飯を池に沈める奇祭「お櫃納め」。不思議さとロマンに満ちた、ひとつの、独立したような空間。
周囲の山は泥岩室の不透水層で、この谷が砂丘によってせき止められると水が湛えられ、山に繁る樹木も水の涵養を助けているようだ。それにしても流れ込む川もないのに砂によってせき止められた水が、これだけたくさん湛えられていることには驚く。
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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随時 |
220001 |
35 |
静岡県 |
牧之原市 |
相良の根上り松 |
サガラノネアガリマツ |
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記念物 |
天然記念物 |
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二 |
本 |
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1954/1/30 |
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建物に囲まれて二本立つ。一本は頭上高く根が上がっている。もう一本は根の露出がやや少ないが、これは元の地表面の高さの違いであろう。
やせた土地を好む松とはいえ、このような状態でもなお生きている松という植物に驚かされる。
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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|
随時 |
220001 |
36 |
静岡県 |
函南町 |
春日神社の樟 |
カスガジンジャノクス |
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|
記念物 |
天然記念物 |
|
函南町大竹字神谷戸38、39-2 |
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|
|
|
|
一 |
本 |
|
春日神社 |
1954/1/30 |
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|
目通9.4m、樹高17.5m(「函南町の文化財」(平成5年刊行)より引用) |
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|
随時※火器厳禁 |
220001 |
37 |
静岡県 |
森町 |
天宮神社のナギ |
アマミヤジンジャノナギ |
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|
記念物 |
天然記念物 |
|
森町天宮576 |
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|
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|
|
一 |
本 |
|
天宮神社 |
1954/1/30 |
|
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|
本殿と拝殿の二棟は県指定文化財。それに向かって右側にナギの老樹。葉は厚く小さくびっしり、だから太陽光線は樹の下まで届かない。暗いナギの下へ入る時、心のどこかに躊躇する気持ちがうごめく。
目通5.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
|
|
随時 |
220001 |
39 |
静岡県 |
静岡市 |
石蔵院のお葉付公孫樹 |
セキゾウインノオハツキイチョウ |
|
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記念物 |
天然記念物 |
|
静岡市駿河区安居272 |
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|
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|
一 |
本 |
|
曹洞宗石蔵院 |
1954/1/30 |
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|
ギンナンが葉の上に付くのでこの名がある。背後に久能山、前面は海。
根廻6.0m、目通4.7m、樹高30.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
|
|
|
220001 |
41 |
静岡県 |
磐田市 |
府八幡宮楼門 |
フハチマングウロウモン |
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|
有形文化財 |
建造物 |
|
磐田市中泉112-1 |
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|
|
|
一 |
棟 |
|
府八幡宮 |
1955/2/25 |
|
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|
三間一戸楼門、入母屋造、鉄板葺(元檜皮葺)江戸中期桃山形式により建築される。構造大で見事。年代:江戸中期
当社は、奈良時代に桜井王が遠江国司として赴任した際に創建したと伝えられている。社殿の前方に位置する随身門は、入母屋造、?葺、三間一戸の楼門の形式を採り、社記によると寛永12年(1635)の建立とされる。全体的に和様の手法でまとめられ、軒先を深くするために組物を三手先まで出して、大きく広がる屋根を支えている。中央間に架かる虹梁の絵様彫刻は、いかにも江戸時代初期の雰囲気を醸し出す優美な曲線である。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
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|
随時 |
220001 |
42 |
静岡県 |
沼津市 |
槍名物蜻蛉切 |
ヤリメイブツトンボキリ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
三島市中田町1−43 |
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|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1955/2/25 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成25年7月12日から公益財団法人佐野美術館へ寄託 |
220001 |
44 |
静岡県 |
藤枝市 |
久遠の松 |
クオンノマツ |
|
|
記念物 |
天然記念物 |
|
藤枝市藤枝4-2-7 |
|
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|
|
|
一 |
本 |
|
大慶寺 |
1955/2/25 |
|
|
|
|
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|
|
日蓮上人手植えと言われるみごとな松。
根廻7.0m、目通4.5m、樹高25.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
|
|
|
220001 |
48 |
静岡県 |
伊豆市 |
益山寺の大もみじ |
マシヤマデラノオオモミジ |
|
|
記念物 |
天然記念物 |
|
伊豆市堀切760 |
|
|
|
|
|
一 |
本 |
|
益山寺 |
1955/2/25 |
|
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|
石の仏たちが居並ぶ。彼らの見上げる今年の紅葉。
根廻5.4m、目通4.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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|
要事前連絡(団体の場合) |
220001 |
49 |
静岡県 |
牧之原市 |
紙本淡彩十六羅漢の図平井顕斎筆 |
シホンタンサイジュウロクラカンノズヒライケンサイシツ |
|
|
有形文化財 |
絵画 |
|
牧之原市細江4620-1 |
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|
|
十六 |
幅 |
|
円成寺 |
1955/4/19 |
|
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|
平井顕斎は、江戸で谷文晁と渡辺崋山に師事した。「崋山十哲」の一人。榛原郡青池村に生まれた彼は、天保12(1841)年の崋山自刃の後は再び江戸へ出ることなく、郷里を本拠に各地に歴遊、安政3(1856)年岡崎に客死した。
弘化4(1847)年に郷里で開催した彼の書画会には、藤枝宿島田宿を中心に多くの文人が集い、江戸からは椿椿山も訪れている。
おしつけがましくなく、おだやかで上品な、それでいて説得力のある画面は、やはり彼の郷里の空気感であろう。
(静岡県教育委員会1995『ふるさと静岡県文化財写真集5絵画・書跡・典籍・古文書編』より) |
|
|
要問い合わせ(正月三が日に公開することあり) |
220001 |
50 |
静岡県 |
沼津市 |
科註妙法蓮華經 |
カチュウミョウホウレンゲキョウ |
|
|
有形文化財 |
書跡・典籍・古文書 |
|
沼津市原128 |
|
|
|
055-966-0011 |
|
十 |
冊 |
|
大本山松蔭寺 |
1955/4/19 |
|
|
|
|
|
|
|
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|
|
|
220001 |
51 |
静岡県 |
沼津市 |
太刀銘景則 |
タチメイカゲノリ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
三島市中田町1−43 |
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1955/4/19 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成25年7月12日から公益財団法人佐野美術館へ寄託 |
220001 |
52 |
静岡県 |
沼津市 |
太刀銘備州長船住近景 |
タチメイビゼンオサフネノジュウチカカゲ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
三島市中田町1−43 |
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1955/4/19 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成25年7月12日から公益財団法人佐野美術館へ寄託 |
220001 |
58 |
静岡県 |
吉田町 |
脇差銘表虎徹入道興里裏同作彫之寛文四年八月吉祥日 |
ワキザシメイオモテコテツニュウドウオキサトウラドウサクコレヲホルカンブンヨネンハチガツキッショウビ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
|
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1955/4/19 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
220001 |
59 |
静岡県 |
伊東市 |
太刀銘大和則長作 |
タチメイヤマトノリナガサク |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
|
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1955/4/19 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
220001 |
60 |
静岡県 |
沼津市 |
太刀銘了戒 |
タチメイリョウカイ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
三島市中田町1−43 |
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1955/4/19 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成25年7月12日から公益財団法人佐野美術館へ寄託 |
220001 |
63 |
静岡県 |
三島市 |
刀銘繁慶 |
カタナメイハンケイ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
三島市中田町1番43号 |
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
公益財団法人佐野美術館 |
1955/4/19 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
220001 |
64 |
静岡県 |
沼津市 |
刀銘表津田越前守助廣裏延宝二年二月吉日 |
カタナメイオモテツダエチゼンノカミスケヒロウラエンポウニネンニガツキチジツ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
三島市中田町1−43 |
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1955/4/19 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成25年7月12日から公益財団法人佐野美術館へ寄託 |
220001 |
65 |
静岡県 |
浜松市 |
笹ヶ瀬隕石 |
ササガセインセキ |
|
|
記念物 |
天然記念物 |
|
浜松市中区北寺島町256-3 |
|
|
|
|
|
一 |
個 |
|
|
1955/4/19 |
|
|
|
|
|
|
|
|
赤穂浪士が吉良邸へ討ち入る十数年前、現在の浜松市篠ヶ瀬に隕石が降ってきた。元禄元年(1688)のことだ。笹ヶ瀬とは篠ヶ瀬の古い名で、天竜川駅の北方にあたる。
この地の増福寺近くに落ちとたこの隕石は、寺で「玉薬師」として尊ばれたのであるが、そればかりではなく寺に隕石、つまり「玉薬師」の落下と発見について書かれた古文書が残されている。まさに、記録に残る日本最古の隕石ということがいえる。
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
|
|
午前9時30分-午後5時(入場は16時30分まで)休館日あり有料 |
220001 |
68 |
静岡県 |
牧之原市 |
善明院のイスノキ・クロガネモチ合着樹 |
ゼンミョウインノイスノキ・クロガネモチゴウチャクジュ |
|
|
記念物 |
天然記念物 |
|
牧之原市須々木341 |
|
|
|
|
|
一 |
本 |
|
善明院 |
1955/4/19 |
|
|
|
|
|
|
|
|
マンサク科のイスノキとモチノキ科のクロガネモチの二種の異なる樹木が根元で合着している。
目通2.6m、樹高6.0m、枝張り(長径)13.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
|
|
随時 |
220001 |
71 |
静岡県 |
富士市 |
富知六所浅間神社の大樟 |
フジロクショセンゲンジンジャノオオクス |
|
|
記念物 |
天然記念物 |
|
富士市浅間本町5-1 |
|
|
|
|
|
一 |
本 |
|
富知六所浅間神社 |
1955/4/19 |
|
|
|
|
|
|
|
|
目通13.0m、樹高15.0m、枝張り(長径)17.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
|
|
随時 |
220001 |
72 |
静岡県 |
掛川市 |
三社祭礼囃子 |
サンジャサイレイバヤシ |
|
|
民俗文化財 |
無形民俗文化財 |
|
掛川市横須賀 |
|
|
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|
|
|
|
三社祭礼囃子保存会 |
1955/11/1 |
|
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|
|
|
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|
|
正徳年間より始まり享保年間には盛大となり、大間、屋台下、バカ囃子、正伝、鎌倉、四丁目の曲があり、今に正調で行われている。おかめ、ひょっとこの面を顔にかけて踊る手古舞がつく。
4月第一金土日
三熊野神社大祭に附け祭りとして神輿渡御に従う13台のネリは、「一本柱万燈型」として分類される屋台で、江戸の三大祭、天下祭りとして知られた神田明神・日枝三王社・深川富岡八幡などの祭礼に明治以前まで曳かれていたネリと同型のもので、本家江戸に今はないだけに貴重なものといえよう。
またネリで演奏される音曲も江戸の天下祭り、とりわけ深川富岡八幡の祭礼囃子の流れをくみ、「大間」「屋台下」「昇殿」「鎌倉」「四丁目」「馬鹿囃子」の曲がある。大間と屋台下は道行の曲、昇殿・鎌倉・四丁目は役太鼓などとも呼ばれ神社拝殿前で奏される。ネリを神社に練りこむときやネリとネリがすれちがうときは馬鹿囃子が奏される。
(静岡県教育委員会1994『ふるさと静岡県文化財写真集4民俗文化財・無形文化財編』より) |
|
|
三熊野神社大祭開催時 |
220001 |
73 |
静岡県 |
掛川市 |
獅子舞かんからまち |
シシマイカンカラマチ |
|
|
民俗文化財 |
無形民俗文化財 |
|
掛川市掛川 |
|
|
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|
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|
|
|
獅子舞かんからまち保存会 |
1955/11/1 |
|
|
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|
|
|
|
|
丑辰未戌年の10月9〜11日
3年に一度、掛川の町をあげての大祭りに、瓦町からでる「かんからまち」はその瓦町がなまったものと伝えるが、一人立ちの3匹獅子で、2頭の雄獅子が1頭の雌獅子を求愛して競い合う、が神前で和合するという筋立ての内容を演じる。この3匹獅子の型は関東から東北地方にかけて広く分布するが、静岡県では当地だけである。その昔、岩手県遠野の角助が掛川の3匹獅子を習い覚えて伝えたのが「鹿踊り」だといわれ、芸能伝播の問題を考える上でなかなか興味深いものがある。
(静岡県教育委員会1994『ふるさと静岡県文化財写真集4民俗文化財・無形文化財編』より) |
|
|
3年に一度の掛川大祭開催時(丑辰未戌年の10月9〜11日) |
220001 |
77 |
静岡県 |
湖西市 |
紙本水墨四季山水障壁図 |
シホンスイボクシキサンスイショウヘキズ |
|
|
有形文化財 |
絵画 |
|
湖西市鷲津384 |
|
|
|
053-576-0054 |
|
十五 |
面 |
|
本興寺 |
1956/1/7 |
|
|
|
|
|
|
|
|
紙本(鳥の子)・水墨、本床高八尺六寸五分、巾八寸五分、両脇高八尺六寸五分、巾二尺六寸、脇床高六尺、巾八尺五寸、両脇各高六尺、各巾二尺六寸五分、地付壁高六尺、巾七尺五分、襖各高五尺六寸八分、各巾四尺一寸五分、谷文晁筆、文政十年大書院新築の際画いたもの。
年代:江戸(文政十亥中冬と襖骨にあり)
文晁65歳の老境における、自由奔放な春夏秋冬の山水。土佐・狩野・西洋画などさまざまな画風を取り入れて自己のものとした、文晁の絵画のひとつの到達点。
文政10(1827)年、本興寺大書院が建てられた際に、この15面に文晁が筆をふるった。今、大書院から池を望めば、斜め向こうには奥書院の茅葺の尾根が落ち着いた雰囲気をつくり、文晁のこの絵はめぐまれた場所にある。
(静岡県教育委員会1995『ふるさと静岡県文化財写真集5絵画・書跡・典籍・古文書編』より) |
|
|
随時午前9時-午後4時30分有料:大人300円、小人150円 |
220001 |
78 |
静岡県 |
静岡市 |
絹本着色大休和尚画像 |
ケンポンチャクショクダイキュウオショウガゾウ |
|
|
有形文化財 |
絵画 |
|
|
|
|
|
|
|
一 |
幅 |
|
|
1956/1/7 |
|
|
|
|
|
|
|
|
絹本・着色、縦三尺三寸、巾一尺六寸、筆者不詳、本光国師頂相、本光国師の自賛あり。年代:室町(天文十四年)
今川義元の軍師として知られるのが、「黒衣の宰相」太原崇孚(雪斎)。その雪斎の師が大休宗休である。義元と雪斎の二人に招かれ駿河臨済寺の開山となる。雪斎は師のあとをついで二世となる。
やや斜めを向いて曲?(椅子)に腰掛けた姿が、おちついた色調としっかりとした墨の線で描かれ、頂相(禅宗僧侶の肖像画)にふさわしい。画面上部には大休自身の画賛があり、これによれば天文14(1545)年の作であることがわかる。
(静岡県教育委員会1995『ふるさと静岡県文化財写真集5絵画・書跡・典籍・古文書編』より) |
|
|
5月19日、10月15日の限定公開午前10時-午後3時 |
220001 |
79 |
静岡県 |
袋井市 |
木造薬師如来坐像 |
モクゾウヤクシニョライザゾウ |
|
|
有形文化財 |
彫刻 |
|
袋井市春岡字敷地前355-1 |
|
|
|
0538-48-6754 |
|
一 |
躯 |
|
宗教法人西楽寺 |
1956/1/7 |
|
|
|
|
|
|
|
|
檜寄木造・坐像、像高二尺七寸、膝巾二尺八寸、作者不詳。年代:藤原
像高84.0m平安時代後期
ヒノキ材一木割矧造彩色剥落
左の掌には薬壺がのり、右手には掌を前に立てている。仏の祈っているような表情はそのまま祈る側の人間の心になり、ふたつがひとつになり溶け合うような雰囲気をただよわせている。
(静岡県教育委員会1993『ふるさと静岡県文化財写真集3彫刻・工芸品・歴史資料・考古資料編』より) |
|
|
随時要事前連絡 |
220001 |
80 |
静岡県 |
牧之原市 |
木造薬師如来坐像 |
モクゾウヤクシニョライザゾウ |
|
|
有形文化財 |
彫刻 |
|
牧之原市西山寺202 |
|
|
|
|
|
一 |
躯 |
|
西山寺 |
1956/1/7 |
|
|
|
|
|
|
|
|
楠寄木造・坐像、像高二尺七寸、膝巾一尺七寸、作者不詳、膝下に「〇〇〇〇年丑年八月十五日地蔵坊持来由」の墨書あり。年代:藤原
平安時代の檜材寄木造。寺伝では弘法大師の作と伝えられる。優美な顔、なだらかに流れる描線、衲衣のひだのさばき方の写実的で力強い表現などから藤原時代から鎌倉時代前期の作と思われる。
(静岡県教育委員会1998『文化財ガイドブック彫刻編』より) |
|
|
|
220001 |
81 |
静岡県 |
藤枝市 |
紙本墨書縁生論 |
シホンボクショエンショウロン |
|
|
有形文化財 |
書跡・典籍・古文書 |
|
|
|
|
|
|
|
一 |
巻 |
|
|
1956/1/7 |
|
|
|
|
|
|
|
|
書跡
紙本(黄穀紙)・墨書、鉛界・巻子本、巾九寸二分、長十五尺八寸、称徳天皇勅願一切経の一部(神護景雲二年)。年代:奈良
聖武天皇十三回忌の追善供養のため、その娘称徳女帝が発願し書写された一切経、いわゆる「景雲経」の一部と考えられる。
「縁生」とは「縁起」と同じ意味。縁起は原因を示し、縁生は結果からのことを示す。「縁生論」は仏教の十二因縁の意味を示した経典。
(静岡県教育委員会1995『ふるさと静岡県文化財写真集5絵画・書跡・典籍・古文書編』より) |
|
|
|
220001 |
82 |
静岡県 |
静岡市 |
鉄山和尚語録 |
テツザンオショウゴロク |
|
|
有形文化財 |
書跡・典籍・古文書 |
|
|
|
|
|
|
|
四 |
冊 |
|
|
1956/1/7 |
|
|
|
|
|
|
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|
書跡
書籍・和綴、縦八寸、横五寸七分、序文策彦和尚、臨済寺四世鉄山和尚の詩、偈、賛等、永禄八年より慶長十三年迄のもの。年代:桃山
鉄山宗純は、大休による開山され太原に継承された臨済寺の第四世。永禄8(1565)年から慶長13(1608)年の間の、彼の偈(詩の型式により仏教思想を凝縮して述べたもの)を中心とした語録。
(静岡県教育委員会1995『ふるさと静岡県文化財写真集5絵画・書跡・典籍・古文書編』より) |
|
|
|
220001 |
84 |
静岡県 |
静岡市 |
鉄山釜 |
テツザンガマ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
|
|
|
|
|
|
一 |
揃 |
|
臨濟寺 |
1956/1/7 |
|
|
|
|
|
|
|
|
風炉釜一揃鉄製鬼面切合、「天正十七年五月二十八日臨済寺鉄山、榊原式部大夫寄進之」の銘文あり。年代:桃山
(総高)41.0cm(釜径)26.0cm(風炉径)37.0cm安土桃山時代
天正17(1589)年に臨在寺方丈建立を祝い徳川四天王のひとり榊原康政が、臨在寺第四世鉄山和尚に贈ったもの。釜と風炉の銘文にそのことが記されている。どっしりとした鉄製の茶釜。(静岡県教育委員会1993『ふるさと静岡県文化財写真集3彫刻・工芸品・歴史資料・考古資料編』より) |
|
|
5月19日、10月15日の限定公開午前10時-午後3時 |
220001 |
88 |
静岡県 |
島田市 |
智満寺中門 |
チマンジチュウモン |
|
|
有形文化財 |
建造物 |
|
島田市千葉254 |
|
|
|
|
|
一 |
棟 |
|
宗教法人智満寺 |
1956/1/7 |
|
|
|
|
|
|
|
|
入母屋造茅葺六脚門、間口十二尺、奥行十二尺。年代:室町※年代は安土桃山
天台宗の寺院で、本堂は天正17年(1589)に建立された。三間一戸八脚門、寄棟造、茅葺の仁王門と、四脚門の中門が県の文化財に指定されている。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
|
|
随時 |
220001 |
89 |
静岡県 |
島田市 |
智満寺薬師堂 |
チマンジヤクシドウ |
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有形文化財 |
建造物 |
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島田市千葉254 |
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一 |
棟 |
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宗教法人智満寺 |
1956/1/7 |
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入母屋造茅葺、間口三間(十八尺二寸五分)、奥行三間(十七尺四寸)。年代:桃山
天台宗の寺院で、本堂は天正17年(1589)に建立された。三間一戸八脚門、寄棟造、茅葺の仁王門と、四脚門の中門が県の文化財に指定されている。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
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随時 |
220001 |
90 |
静岡県 |
島田市 |
智満寺薬師堂厨子 |
チマンジヤクシドウズシ |
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有形文化財 |
建造物 |
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島田市千葉254 |
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一 |
基 |
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宗教法人智満寺 |
1956/1/7 |
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妻入宮殿造、極彩色、間口二尺八寸、奥行二尺一寸。年代:桃山
天台宗の寺院で、本堂は天正17年(1589)に建立された。三間一戸八脚門、寄棟造、茅葺の仁王門と、四脚門の中門が県の文化財に指定されている。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
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随時 |
220001 |
91 |
静岡県 |
島田市 |
智満寺元三大師厨子 |
チマンジガンサンダイシズシ |
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有形文化財 |
建造物 |
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島田市千葉254 |
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|
一 |
基 |
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宗教法人智満寺 |
1956/1/7 |
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妻入宮殿造、極彩色、間口三尺六寸六分、奥行二尺五寸。年代:桃山
天台宗の寺院で、本堂は天正17年(1589)に建立された。三間一戸八脚門、寄棟造、茅葺の仁王門と、四脚門の中門が県の文化財に指定されている。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
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随時午前9時-午後4時 |
220001 |
92 |
静岡県 |
島田市 |
智満寺仁王門 |
チマンジニオウモン |
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有形文化財 |
建造物 |
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島田市千葉254 |
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|
一 |
棟 |
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宗教法人智満寺 |
1956/1/7 |
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入母屋造、茅葺、間口二十八尺、奥行十八尺。年代:江戸
天台宗の寺院で、本堂は天正17年(1589)に建立された。三間一戸八脚門、寄棟造、茅葺の仁王門と、四脚門の中門が県の文化財に指定されている。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
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随時 |
220001 |
93 |
静岡県 |
静岡市 |
銅鐸 |
ドウタク |
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有形文化財 |
考古資料 |
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静岡市駿河区登呂5-10-5 |
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一 |
口 |
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|
1956/1/7 |
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奈良県葛城郡上枚村観音山出土、高九寸八分、底長径五寸、短径三寸八分、袈裟襷式。年代:弥生式文化時代
現在は静岡天満宮の所蔵で、登呂博物館で展示・保管しているが、もともとは奈良県北葛城郡上牧町より出土したものと考えられる。出土した時期は、江戸時代の文化年間以前である。
身の部分は四つに区画した袈裟襷文が飾る。身の上面と上半にあく孔は鋳型の支え(型持という)をおいたあとである。
銅鐸は、つり下げて鳴らす「かね」から出発し、次第に大型で装飾的な見せるためのものに変化していった、と考えられている。本例はまだ装飾化が進んでいない段階のもので、鈕(吊り手)の部分は、断面が菱形の半環状の部分の外側に扁平な縁がつけられている。そこには複合鋸歯文と呼ばれる文様が施され、鰭の部分へと連なっている。
(静岡県教育委員会1993『ふるさと静岡県文化財写真集3彫刻・工芸品・歴史資料・考古資料編』より) |
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登呂博物館にて展示 |
220001 |
94 |
静岡県 |
島田市 |
慶寿寺の枝重櫻 |
ケイジュジノシダレザクラ |
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記念物 |
天然記念物 |
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島田市大草767 |
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一 |
本 |
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宗教法人慶寿寺 |
1956/1/17 |
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|
目通3.5m、樹高14.0m、枝張り(長径)18.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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|
随時 |
220001 |
96 |
静岡県 |
牧之原市 |
掉月庵の夫婦槙(こぶまき) |
トウゲツアンノメオトマキ(コブマキ) |
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記念物 |
天然記念物 |
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|
二 |
本 |
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1956/1/17 |
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樹齢約470年と推定されている雌雄一対(※指定当時)の槙の巨樹。天文21年(1553)、円成寺五世の天用榮龍が掉月庵に隠居した時、記念として入口に植えたものといわれている。古老の話によると、「こぶ」や「いぼ」のある人が、この槙をさすって願をかけると、その人のこぶが槙に移ると伝えられている。そのため、こぶまきの別名がある。
夫婦槙という名称のとおり、元々は南側に雄株、北側に雌株があった。しかし、平成14年(2002)に雄株が枯死したため、現在は雌株1本を残すのみとなっている。雌株の目通りは約4.2m、高さは約11.0mである。 |
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随時 |
220001 |
100 |
静岡県 |
静岡市 |
清水寺観音堂 |
キヨミズデラカンノンドウ |
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有形文化財 |
建造物 |
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|
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|
|
一 |
棟 |
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|
1956/5/24 |
|
|
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|
木造桟瓦葺、四注造、向拝、裳層及び廻縁付、四二坪、軒高十六尺八寸。年代:桃山(慶長七年)
清水寺は、今川氏親の遺命により家臣の朝比奈元朝が奉行となって、仁和寺尊寿院から道因大僧正を迎えて開山したと伝えられている。観音堂の正確な建立時期は明らかでないが、修理の際に発見された墨書や細部の様式・特徴などから、16世紀初頭慶長年間の建立と考えられる。桁行4間、梁間3間、寄棟造、正面1間向拝付という形式であるが、身舎は桟瓦の屋根面を途中で一段下げて葺く「錣葺」にした点が特徴的である。厨子は入母屋造、木瓦葺、妻入り。禅宗様を貴重とし、全体は漆塗りに仕上げられる。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
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|
寺行事法要の際公開 |
220001 |
101 |
静岡県 |
静岡市 |
清水寺観音堂厨子 |
キヨミズデラカンノンドウズシ |
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|
有形文化財 |
建造物 |
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|
|
一 |
基 |
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|
1956/5/24 |
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木造妻入宮殿造、木製本瓦葺様、間口一間(三尺一寸二分)、奥行一間(二尺四寸三分)、總朱漆塗、一部金箔。年代:桃山(慶長七年)
清水寺は、今川氏親の遺命により家臣の朝比奈元朝が奉行となって、仁和寺尊寿院から道因大僧正を迎えて開山したと伝えられている。観音堂の正確な建立時期は明らかでないが、修理の際に発見された墨書や細部の様式・特徴などから、16世紀初頭慶長年間の建立と考えられる。桁行4間、梁間3間、寄棟造、正面1間向拝付という形式であるが、身舎は桟瓦の屋根面を途中で一段下げて葺く「錣葺」にした点が特徴的である。厨子は入母屋造、木瓦葺、妻入り。禅宗様を貴重とし、全体は漆塗りに仕上げられる。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
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寺行事法要の際公開 |
220001 |
102 |
静岡県 |
森町 |
天宮神社本殿及び拝殿附棟札一枚 |
アメノミヤジンジャホンデンオヨビハイデンツケタリムナフダイチマイ |
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有形文化財 |
建造物 |
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森町天宮576 |
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|
|
二 |
棟 |
|
天宮神社 |
1956/5/24 |
|
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本殿、木造桧皮葺、三間社流造、約六坪。拝殿、木造入母屋造、妻入、桟瓦葺。棟札、元禄十年十二月九日遷宮の記あり。大棟梁甲良豊前源宗賀。年代:江戸(元禄十年)
5代将軍綱吉が命じて、荒廃していた社殿を元禄10年(1697)に再建したものである。棟札によると、幕府の大棟梁であった甲良豊前守宗賀を大棟梁として、棟梁甲良次良左右衛門が率いる地元の大工達によって現在の本殿が造営された。拝殿の建立時期を示す直接史料は無いが、本殿と同時期の建立と伝えられる。本殿は三間社流造、檜皮葺、身舎は円柱、向拝は方柱。全体は和様で統一されており、簡素な造りである。拝殿は桁行5間、梁間3間、入母屋造、桟瓦葺、妻入りの社殿である。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
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220001 |
103 |
静岡県 |
島田市 |
天徳寺山門 |
テントクジサンモン |
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|
有形文化財 |
建造物 |
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島田市大草911 |
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|
|
一 |
棟 |
|
宗教法人天徳寺 |
1956/5/24 |
|
|
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|
四脚門、和様切妻破風造、間口十二尺、奥行一一・五尺、元禄四年三月修理。年代:桃山(慶長五年)
天徳寺は南北朝の頃に開かれたと伝えられ、駿河・遠江地方にある曹洞宗の最初の寺院ともいわれる。慶長5年(1600)に現在の場所に移り、山門もその時の建立と伝えられる。四脚門の形式を採り、屋根は桟瓦葺である。
(静岡県教育委員会2000『文化財ガイドブック建造物編』より) |
|
|
随時 |
220001 |
104 |
静岡県 |
湖西市 |
後深草天皇御消息両門跡筆 |
ゴフカクサテンノウゴショウソクリョウモンセキヒツ |
|
|
有形文化財 |
書跡・典籍・古文書 |
|
湖西市鷲津384 |
|
|
|
053-576-0054 |
|
一 |
幅 |
|
本興寺 |
1956/5/24 |
|
|
|
|
|
|
|
|
書跡
縦八寸九分、横一尺五寸五分。年代:鎌倉※文亀2年(1502)宗都本禅寺より移入
後深草天皇は鎌倉中期の天皇で、大覚寺統と対立した持明院統の祖。能書家として名高い伏見天皇の父にあたる。後深草天皇の書は、筆力あふれる力強い筆致を特色としており、その激しい気性をうかがわせる。
(静岡県教育委員会1995『ふるさと静岡県文化財写真集5絵画・書跡・典籍・古文書編』より) |
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220001 |
105 |
静岡県 |
湖西市 |
後伏見上皇御消息後五月三日 |
ゴフシミジョウコウゴショウソクノチゴガツミッカ |
|
|
有形文化財 |
書跡・典籍・古文書 |
|
湖西市鷲津384 |
|
|
|
053-576-0054 |
|
一 |
幅 |
|
本興寺 |
1956/5/24 |
|
|
|
|
|
|
|
|
書跡
縦九寸二分、横二尺三寸。年代:鎌倉※文亀2年(1502)宗都本禅寺より移入
天皇・上皇・法親王の手紙が湖西市の本興寺に保存されているのは奇異に感じられるが、文亀2(1502)年、戦乱の迫る京都の本禅寺から安全な本興寺に避難して来たものらしい。上皇の消息は元亨2(1321)年のものである。仁和寺第14代門主寛性法親王のものは、紙背(裏側)に経文(法華経)の一部が見える。
(静岡県教育委員会1995『ふるさと静岡県文化財写真集5絵画・書跡・典籍・古文書編』より) |
|
|
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220001 |
106 |
静岡県 |
湖西市 |
寛性法親王御消息七月廿五日 |
カンショウホウシンノウゴショウソクヒチガツニジュウゴニチ |
|
|
有形文化財 |
書跡・典籍・古文書 |
|
湖西市鷲津384 |
|
|
|
053-576-0054 |
|
一 |
幅 |
|
本興寺 |
1956/5/24 |
|
|
|
|
|
|
|
|
書跡
縦九寸三分、横一尺五寸七分、紙背版経(分別功特品)。年代:鎌倉※文亀2年(1502)宗都本禅寺より移入
寛性法親王は伏見天皇の第3皇子で、後伏見天皇の弟にあたる。仁和寺14代門主(住職)。この消息は京都本禅寺の御消息翻摺法華経8巻(重文)の一紙。
(静岡県教育委員会1995『ふるさと静岡県文化財写真集5絵画・書跡・典籍・古文書編』より) |
|
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|
220001 |
107 |
静岡県 |
湖西市 |
紙本墨書法華経 |
シホンボクショホケキョウ |
|
|
有形文化財 |
書跡・典籍・古文書 |
|
湖西市鷲津384 |
|
|
|
053-576-0054 |
|
八 |
巻 |
|
本興寺 |
1956/5/24 |
|
|
|
|
|
|
|
|
書跡
伝伏見天皇御筆、文亀二年、日勝の奥書あり。年代:鎌倉※年代は室町時代後期
上質の鳥の子紙の料紙に墨界墨書。写真に示した日勝上人の奥書には、「文亀2(1502)年霜月28日」とある。
(静岡県教育委員会1995『ふるさと静岡県文化財写真集5絵画・書跡・典籍・古文書編』より) |
|
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220001 |
109 |
静岡県 |
沼津市 |
玉砥石 |
タマトイシ |
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|
有形文化財 |
考古資料 |
|
沼津市平町91 |
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|
二 |
個 |
|
沼津市 |
1956/5/24 |
|
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|
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|
大小二個。高さ大は一・八九米、小は一・一二米。年代:古墳時代
考古遺物は博物館や収蔵庫の中にあるものが多いが、これらは野外にある。沼津市日枝神社の南、旧東海道に面してひっそりとたたずむ大小2個の柱状の石。近づいて表面を見れば、直線状の溝が刻まれている。
このあたりでは、古代の駿河国駿河郡玉造郷とも考えられ(和名類聚抄)、延喜式の神名帳に記載されている神社(式内社という)である玉作神社の近くにある。
(静岡県教育委員会1993『ふるさと静岡県文化財写真集3彫刻・工芸品・歴史資料・考古資料編』より) |
|
|
一里塚公園内 |
220001 |
110 |
静岡県 |
富士宮市 |
西山本門寺の大柊 |
ニシヤマホンモンジノオオヒイラギ |
|
|
記念物 |
天然記念物 |
|
富士宮市西山671 |
|
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|
|
一 |
本 |
|
本門寺 |
1956/5/24 |
|
|
|
|
|
|
|
|
目通3.4m、樹高14.5m、枝張り(長径)16.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
|
|
随時 |
220001 |
111 |
静岡県 |
富士宮市 |
村山浅間神社の大杉 |
ムラヤマセンゲンジンジャノオオスギ |
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|
記念物 |
天然記念物 |
|
富士宮市村山1151 |
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|
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|
|
一 |
本 |
|
村山浅間神社 |
1956/5/24 |
|
|
|
|
|
|
|
|
目通9.9m、樹高47.0m、枝張り(長径)31.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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|
随時 |
220001 |
112 |
静岡県 |
藤枝市 |
若一王子神社の社叢 |
ニャクイチオウジジンジャノシャソウ |
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|
記念物 |
天然記念物 |
|
藤枝市若王子73 |
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|
|
若一王子神社 |
1956/5/24 |
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|
ヤマモガシ、ミミズバイ、カンザブロウノキなどからなる暖地性樹林の自生北限地。そこは社殿裏山の南面で、登りきると北側には蓮華寺池の水面が見える。
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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220001 |
113 |
静岡県 |
伊豆市 |
修善寺の桂 |
シュゼンジノカツラ |
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|
記念物 |
天然記念物 |
|
伊豆市修善寺奥山4266-1 |
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|
|
一 |
本 |
|
修禅寺 |
1956/5/24 |
|
|
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|
修善寺、そしてカツラと言えば岡本綺堂の「修善寺物語」が思い出される。能面師夜叉王の娘かつらは華やかな上流が階級への憧れが強く、流人の源頼家と結ばれるが父の面をつけ頼家の身代わりとなって死ぬ。
目通7.0m、樹高30.0m、枝張り(長径)26.0m
(静岡県教育委員会1992『ふるさと静岡県文化財写真集2名勝・史跡・天然記念物編』より) |
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|
随時※掲載した所在位置はおおよその位置です。山中のため、見学の際は安全な服装・靴でお願いします。 |
220001 |
117 |
静岡県 |
河津町 |
木造十一面観音立像 |
モクゾウジュウイチメンカンノンリュウゾウ |
|
|
有形文化財 |
彫刻 |
|
河津町河津町峰413 |
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|
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|
|
一 |
躯 |
|
下峰区 |
1956/10/17 |
|
|
|
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|
檜材一木彫成、高五尺二寸。年代:平安
平安時代の檜材一木造。ほぼ等身大で、撥形の眉間、切れ長の目、衲衣の平行な流れに平安時代の一木造の特徴がよく現れている。
(静岡県教育委員会1998『文化財ガイドブック彫刻編』より) |
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事前に区へ連絡し、閲覧 |
220001 |
118 |
静岡県 |
御前崎市 |
木造十一面観音立像 |
モクゾウジュウイチメンカンノンリュウゾウ |
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|
有形文化財 |
彫刻 |
|
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|
|
一 |
躯 |
|
|
1956/10/17 |
|
|
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|
高四尺五寸。年代:藤原
平安時代中期の楠材一木造。量感豊かな身体の表現から平安時代中期の特色が感じられる。約250年前、空性という僧が高野山からこの地へ奉持してきたとも伝える。
(静岡県教育委員会1998『文化財ガイドブック彫刻編』より) |
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|
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220001 |
119 |
静岡県 |
静岡市 |
木造不動明王立像 |
モクゾウフドウミョウオウリュウゾウ |
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有形文化財 |
彫刻 |
|
静岡市葵区建穂2-12-6 |
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|
|
一 |
躯 |
|
建穂町内会 |
1956/10/17 |
|
|
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|
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|
|
一木彫成、高二尺一寸、建穂寺旧蔵。年代:藤原
薬師如来は平安時代後期の檜材一木割矧造。量感あふれる身体表現は正に平安時代のものである。
阿弥陀如来他は平安時代末期の寄木造。阿弥陀が来迎印を結び、観音が蓮台を持ち、勢至が合掌し、死者を来迎する形式である。観音と勢至が本来とは逆の位置にいる。玉眼という鎌倉時代に流行する技法を時代にさきがけて用いている。
(静岡県教育委員会1998『文化財ガイドブック彫刻編』より) |
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随時午前10時-午後3時30分要事前連絡 |
220001 |
120 |
静岡県 |
静岡市 |
太刀銘安綱 |
タチメイヤスツナ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
|
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1956/10/17 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
220001 |
122 |
静岡県 |
静岡市 |
長巻無銘伝吉岡一文字附? |
ナガマキムメイデンヨシオカイチモンジツケタリハバキ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
|
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1956/10/17 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
220001 |
123 |
静岡県 |
静岡市 |
脇差銘豊州住藤原友行作貞治四年十月日 |
ワキザシメイトヨスノジュウフジワラトモユキサクジョウジヨネンジュウガツヒ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
|
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1956/10/17 |
|
|
|
|
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|
|
|
220001 |
124 |
静岡県 |
焼津市 |
太刀銘備前長船長義 |
タチメイビゼンオサフネナガヨシ |
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|
有形文化財 |
工芸品 |
|
|
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1956/10/17 |
|
|
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|
|
|
|
|
|
|
|
|
220001 |
126 |
静岡県 |
静岡市 |
太刀銘八幡大菩薩備州長船盛重春日大明神文明四年八月日 |
タチメイハチマンダイボサツビシュウオサフネモリシゲカスガダイミョウジンブンメイヨネンハチガツヒ |
|
|
有形文化財 |
工芸品 |
|
|
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1956/10/17 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
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|
220001 |
127 |
静岡県 |
吉田町 |
刀銘源正行弘化三年八月日 |
カタナメイミナモトノマサユキコウカサンネンハチガツヒ |
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|
有形文化財 |
工芸品 |
|
|
|
|
|
|
|
一 |
口 |
|
|
1956/10/17 |
|
|
|
|
|
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220001 |
128 |
静岡県 |
静岡市 |
梵鐘 |
ボンショウ |
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有形文化財 |
工芸品 |
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静岡市清水区興津清見寺町418−1 |
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一 |
口 |
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清見寺 |
1956/10/17 |
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通常外より見学可12月31日午後11時30分-午前12時20分 |
220001 |
129 |
静岡県 |
伊豆の国市 |
梵鐘 |
ボンショウ |
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有形文化財 |
工芸品 |
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伊豆の国市韮山金谷268−1 |
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055-949-2656 |
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一 |
口 |
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本立寺 |
1956/10/17 |
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随時 |
220001 |
130 |
静岡県 |
沼津市 |
梵鐘 |
ボンショウ |
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有形文化財 |
工芸品 |
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沼津市本郷町25-37 |
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055-931-0184 |
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一 |
口 |
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霊山寺 |
1956/10/17 |
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220001 |
131 |
静岡県 |
袋井市 |
梵鐘 |
ボンショウ |
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有形文化財 |
工芸品 |
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袋井市上山梨字上川原1015 |
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0538-48-6651 |
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一 |
口 |
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宗教法人正福寺 |
1956/10/17 |
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遠江国浜名郡橋本(湖西市新居町)の教恩寺の旧蔵品で文明六年(1474)に鋳造された梵鐘です。その後、森町一宮の移され、天正12年(1584)に正福寺へ移されたことが梵鐘胴部の池の間に刻まれている。
高さ二尺七寸五分(83cm)、口径は一尺八寸(55cm)、龍頭(20cm)、年代:室町 |
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随時 |
220001 |
132 |
静岡県 |
静岡市 |
鰐口 |
ワニグチ |
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有形文化財 |
工芸品 |
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静岡市清水区茂畑1021 |
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一 |
口 |
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一溪寺 |
1956/10/17 |
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事前の連絡が必要(静岡市文化財課) |
220001 |
133 |
静岡県 |
牧之原市 |
鰐口 |
ワニグチ |
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有形文化財 |
工芸品 |
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牧之原市相良275−2 |
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|
一 |
口 |
|
飯室乃神社 |
1956/10/17 |
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要事前連絡連絡先:牧之原市史料館(TEL0548-53-2625) |
220001 |
134 |
静岡県 |
磐田市 |
鰐口 |
ワニグチ |
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|
有形文化財 |
工芸品 |
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|
一 |
口 |
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|
1956/10/17 |
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220001 |
135 |
静岡県 |
島田市 |
鰐口 |
ワニグチ |
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有形文化財 |
工芸品 |
|
島田市大代2584-3 |
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|
一 |
口 |
|
白山神社 |
1956/10/17 |
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非公開 |
220001 |
136 |
静岡県 |
川根本町 |
鰐口 |
ワニグチ |
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|
有形文化財 |
工芸品 |
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|
一 |
口 |
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|
1956/10/17 |
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220001 |
137 |
静岡県 |
松崎町 |
鰐口 |
ワニグチ |
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有形文化財 |
工芸品 |
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|
一 |
口 |
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|
1956/10/17 |
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220001 |
138 |
静岡県 |
森町 |
鰐口 |
ワニグチ |
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|
有形文化財 |
工芸品 |
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|
一 |
口 |
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|
1956/10/17 |
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220001 |
139 |
静岡県 |
川根本町 |
鰐口 |
ワニグチ |
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|
有形文化財 |
工芸品 |
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|
一 |
口 |
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|
1956/10/17 |
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220001 |
140 |
静岡県 |
袋井市 |
鰐口 |
ワニグチ |
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有形文化財 |
工芸品 |
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袋井市浅羽字篠ケ谷3598 |
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|
一 |
口 |
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|
1956/10/17 |
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岩松寺本堂(観音堂)にかけられていたもので、源氏延(堀越氏延)が大永二年(1522)に東金谷(森町)の鋳物師に造らせて、遠江国分寺薬師堂に奉納したものです。径29.4cm、厚さ5.5cm、重さ5.5kg、年代:室町 |
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所有者による公開時のみ |
220001 |
141 |
静岡県 |
島田市 |
鰐口 |
ワニグチ |
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有形文化財 |
工芸品 |
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島田市野田1195 |
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一 |
口 |
|
宗教法人鵜田寺 |
1956/10/17 |
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要連絡(島田市教育委員会) |
220001 |
142 |
静岡県 |
河津町 |
鰐口 |
ワニグチ |
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有形文化財 |
工芸品 |
|
河津町縄地405 |
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|
一 |
口 |
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|
1956/10/17 |
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|
閲覧希望の場合は、事前に河津町教育委員会(0558-34-1117)へ連絡しすること |
220001 |
143 |
静岡県 |
河津町 |
鰐口 |
ワニグチ |
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|
有形文化財 |
工芸品 |
|
河津町縄地405 |
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|
|
一 |
口 |
|
|
1956/10/17 |
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|
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|
|
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|
|
|
|
閲覧希望の場合は、事前に河津町教育委員会(0558-34-1117)へ連絡しすること |
220001 |
144 |
静岡県 |
下田市 |
鰐口 |
ワニグチ |
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|
有形文化財 |
工芸品 |
|
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|
|
一 |
口 |
|
|
1956/10/17 |
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