都道府県コード又は市区町村コード |
NO |
都道府県名 |
市区町村名 |
名称 |
名称_カナ |
文化財分類 |
種類 |
場所名称 |
住所 |
方書 |
緯度 |
経度 |
電話番号 |
内線番号 |
員数(数) |
員数(単位) |
所有者等 |
文化財指定日 |
利用可能曜日 |
開始時間 |
終了時間 |
利用可能日時特記事項 |
説明 |
URL |
備考 |
222089 |
0000000001 |
静岡県 |
伊東市 |
葛見神社の大クス |
クズミジンジャノオオクス |
天然記念物 |
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葛見神社 |
伊東市馬場町1-16-40 |
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34.964075461639126 |
139.09884452627156 |
(0557)37-1050 |
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1 |
ヶ所 |
宗教法人 葛見神社 |
1933-02-28 |
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クスノキは照葉樹の一種で、日本の暖かい地方の社寺に巨樹が見られます。
葉の表面には光沢があり、葉柄の葉身に近い所には、アブラムシの入っている室があります。茎葉にはショウノウが含まれていて、独特な臭いがします。
日本列島では関東以西から九州までみられますが、自生ではないともいわれています。花は5?6月に咲き、10月?11月には球形で黒色の実をつけます。
クスノキは船材や細工物などに用いられることもあります。
この大クスの目通りは16メートルと言われ、伊東に別荘のあった若槻礼次郎元首相もこよなく愛し、その見事さを讃えた漢学者日下勺水の漢詩などの記念碑を建てました。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5422.html |
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222089 |
0000000002 |
静岡県 |
伊東市 |
八幡宮来宮神社社叢 |
ハチマングウキノミヤジンジャシャソウ |
天然記念物 |
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八幡宮来宮神社 |
伊東市八幡野1 |
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34.877464129867953 |
139.09643053787667 |
(0557)53-2591 |
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1 |
ヶ所 |
宗教法人 八幡宮来宮神社 |
1934-08-09 |
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日本列島の暖帯の極相の状態を示す照葉樹林の一つの典型ともいえる林で、社叢を構成する高木には、ウラジロガシ、スダジイ、アラカシ、イチイガシ、イヌマキ、クスノキ、タブノキ、ホルトノキなどの常緑樹があります。
林下にはカギカズラ、シタキソウ、イズセンリョウ、ハナミョウガ、モロコシソウ、イズカニコウモリなどがみられます。イズカニコウモリは伊豆半島固有の植物です。中でもリュウビンタイ(シダ植物))は、この社叢が北限自生地とされてきた貴重な植物ですが、近年には、熱海市の網代にも生育することが明らかになりました。
ひっそりとした静寂な雰囲気のある境内ですが、近年は以前より明るくなってきたといわれています。また、本殿などが、県指定文化財の建造物になっています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5421.html |
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222089 |
0000000003 |
静岡県 |
伊東市 |
蓮着寺のヤマモモ |
レンチャクジノヤマモモ |
天然記念物 |
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蓮着寺 |
伊東市富戸835 |
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34.882497481890411 |
139.13035151711628 |
(0557)51-0112 |
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1 |
本 |
宗教法人 蓮着寺 |
1999-01-14 |
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ヤマモモは、日本の暖かい地方に分布し、房総から四国、九州に生育しています。
常緑の広葉樹で雌雄異株となり、蓮着寺の株は雌株です。雌株は6月頃に、マツヤニのような臭いがする赤黒い実をつけ、甘すっぱい味がします。
伊東では城ヶ崎から浮山の海岸近くの樹林内に多く見られます。
こんもりした樹冠を持つので、遠くから見てもわかります。根には共生菌がついているので、やせ地でも生育することができます。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5420.html |
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222089 |
0000000004 |
静岡県 |
伊東市 |
大室山 |
オオムロヤマ |
天然記念物 |
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大室山 |
伊東市池.富戸 |
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34.903167641845435 |
139.09448057201246 |
(0557)54-1888 |
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1 |
山 |
池総有財産管理会ほか |
2010-08-05 |
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大室山は約4000年前に活動した標高580.0メートルの伊豆半島最大の単性火山で、底面の直径1キロメートルの大型の臼型スコリア丘です。
山体はほぼ原型を留めており、山頂には直径250メートルの噴火口があります
北側の岩室山から流出した大量の溶岩流は、広大な先原の溶岩地形を形成し、城ケ崎地形を作り出しました。
南斜面には側火口が1つあり、山体形成後にも活動があったことを示しています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5419.html |
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222089 |
0000000005 |
静岡県 |
伊東市 |
江戸城石垣石丁場跡 |
エドジョウイシガキイシチョウバアト |
史跡 |
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江戸城石垣石丁場跡 |
伊東市宇佐美3600-1ほか |
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35.017222 |
139.084972 |
(0557)32-1963 |
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1 |
ヶ所 |
伊東市ほか |
2016-03-01 |
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石丁場遺跡とは、徳川家康が江戸城を築く上で必要な石垣石材の供給源を、伊豆半島に求めたことから、その採石の痕跡が残る場所を指します。
伊東市内には、多くの石丁場遺跡が残っていますが、特に重要な痕跡が残る場所が国史跡として指定されています。また、同じく貴重な石丁場遺跡がある熱海市、神奈川県小田原市と一緒に指定となりました。江戸時代初期の宇佐美村は幕府の直轄地で、伊豆東海岸の村の中では石高が一番多い村であり、名主荻野家は、当時黒田家の家臣であった後藤又兵衛と、採石を通じ交流した書簡も残っています。
指定区域は宇佐美海岸の北側の通称ナコウ山南側斜面にあり、丁場跡の最高部は標高350メートルとなります。
岩石は更新世の火山である多賀火山と宇佐美火山の転石を利用し、約1.5キロメートル離れた海岸にある港まで運搬しました。
江戸城築城は、慶長、元和、寛永の長期間の普請のため、採石に関係する大名も多く、普請が行われた時期によってその場所で採石していた大名が違うこともあります。
文献では慶長18年には黒田長政(福岡)、田中忠政(久留米)、細川忠興(小倉)、生駒一正(丸亀)、立花宗茂(柳河)、稲葉典道(臼杵)、伊東祐慶(飫肥)、毛利高成(佐伯)、木下延俊(日出)、寛永6年には松平定行(桑名)、細川忠利、寛永11年では有馬豊氏(久留米)、山崎家治、稲葉紀通(福知山)、九鬼久隆(三田)、立花宗茂(柳河)、立花種長(三池)、戸川正安(庭瀬)、平岡頼資(徳野)、桑山一玄(新庄)が宇佐美で採石を行ったとされています。
石丁場の中には、作業主が誰なのかを示す刻字や刻印の石を見ることができます。日本全国の丁場の中で、これほど多くの刻字が見られるのは伊豆の石丁場だけであり、いかに多くの大名が江戸城築城に関係していたかがわかります。
指定範囲のナコウ山山頂には、細川忠興を示す「羽柴越中守石場」の文字を刻んだ標識石があり、羽柴の文字から慶長年間に刻まれた石であることが分かります。
また、この山の中腹部に見られる刻印には、稲葉家、毛利家の刻印石を確認することができます。
寛永年間の江戸城の石垣積み上げ作業では、細川、稲葉、毛利は一緒に組んで普請作業をしていることから、採石現場でも同じような関係で作業されていた可能性もあります。
史跡内には、多種多様な刻印、採石の状況を示すクレーター状の遺構、次の普請に備えて石材を並べ刻印を施してある集積場所、運搬をしていたと思われる石曳道(推定)など、石材供給に関連した色々な遺構を確認することができます。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5418.html |
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222089 |
0000000006 |
静岡県 |
伊東市 |
太刀 銘 大和則長作 |
タチ メイ ヤマトノリナガサク |
県指定工芸品 |
美術工芸品 |
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1 |
口 |
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1955-04-19 |
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所在不明のため非公開 |
【指定資料】二尺三寸九分五厘、反り六分五厘、刄文直刄、地肌杢目柾交り、将軍吉宗より佐竹公へ賜ったもの。年代:鎌倉 |
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222089 |
0000000007 |
静岡県 |
伊東市 |
天照皇大神社社叢 |
テンショウコウタイジンジャシャソウ |
県指定天然記念物 |
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天照皇大神社 |
伊東市芝町9 |
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34.967392 |
139.105398 |
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1 |
ヶ所 |
宗教法人 天照皇大神社 |
1967-10-11 |
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日本の暖かい地方の植生変遷の終点である林の状態(極相林)を示しています。
この社叢にはスダジイの大きな木が60本以上見られ、これだけ大きなスダジイがそろってみられるのは珍しいと言われます。
林内は樹冠が繁って暗くなっており、林床には他の植物があまりみられません。
古くなって空洞がみられる樹も多くなってきましたが、周辺の環境が変わらなければ、長い時間かかって更新されていくものとも思われます。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2424.html |
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222089 |
0000000008 |
静岡県 |
伊東市 |
林泉寺のフジ |
リンセンジノフジ |
県指定天然記念物 |
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林泉寺 |
伊東市荻90 |
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34.935517152851325 |
139.09238576688077 |
(0557)37-7804 |
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1 |
本 |
宗教法人 林泉寺 |
1970-06-02 |
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林泉寺にあるノダフジは、1760年代後半(明和年間)に植えられたといわれています。
五月上旬に薄紫色の花をつけ、1.5メートル位のたれさがった穂のようになります。
静岡県内のフジの巨木としては、磐田郡豊田町行興寺の「熊野の長フジ」もあります。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2423.html |
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222089 |
0000000009 |
静岡県 |
伊東市 |
比波預天神社のホルトノキ |
ヒハヨテンジンシャノホルトノキ |
県指定天然記念物 |
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比波預天神社 |
伊東市宇佐美432 |
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35.010613621683618 |
139.08313751046975 |
(0557)48-9552 |
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1 |
本 |
宗教法人 比波預天神社 |
1982-02-26 |
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ホルトノキの語源は、ポルトガルの木と言われています。
日本の暖かい地方から中国まで分布していて、樹形や葉がヤマモモに似ていますが、葉は倒披針形で先がとがっています。また紅葉した葉が混じってついているので区別ができます。
この樹は巨木であると同時に根上りになっています。
伊東市には宇佐美の熊野神社、湯川の松月院、富戸の蓮着寺境内にも大木があります。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2422.html |
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222089 |
0000000010 |
静岡県 |
伊東市 |
新井の大祭り諸行事 |
アライノオオマツリショギョウジ |
県指定無形民俗文化財 |
その他 |
新井神社 |
伊東市新井2-15-1ほか |
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34.97073 |
139.109327 |
(0557)37-5555 |
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新井大祭り保存会 |
1993-03-26 |
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近年神事のみ実施のため非公開 |
新井神社で一年おきの1月7日に行われる例大祭は、俗称「はだか祭り」として知られてます。
神を宿した神輿を御召船(おめしぶね)に移す海上渡御を中心とする一連の諸行事は、伝統的な海の神事を保持している貴重な祭りとして、静岡県の無形民俗文化財に指定されました。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2421.html |
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222089 |
0000000011 |
静岡県 |
伊東市 |
富戸の魚見小屋 |
フトノウオミゴヤ |
県指定有形民俗文化財 |
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富戸の魚見小屋 |
伊東市富戸ノリクチ |
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34.895338438201 |
139.13590326905 |
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1 |
棟 |
いとう漁業協同組合 |
1995-03-16 |
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カリダン部分の毀損の為公開休止中 |
ボラの大群を入り江に追い込んで捕獲するために、船と連携して指示を出していた、ボラ漁の中心的な役割であった見張り小屋です。
富戸にはこのノリクチの魚見小屋のほかにも3カ所の小屋がありましたが、常設され寝泊りが可能であったのは、この小屋だけでした。
伊豆の各地で見られたボラ漁でしたが、この富戸のでも1955年頃をピークに衰退し、現在では漁そのものが行われていません。
傷みが激しく、小屋が消滅する恐れがあったことから、貴重な沿岸漁業の歴史を語る文化財として、県の指定を受けた機会に復元工事を行いました。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2420.html |
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222089 |
0000000012 |
静岡県 |
伊東市 |
八幡宮来宮神社 本殿、渡殿及び拝殿 附棟札5枚 |
ハチマングウキノミヤジンジャホンデン、ワタドノオヨビハイデン ツケタリムナフダゴマイ |
県指定建造物 |
建造物 |
八幡宮来宮神社 |
伊東市八幡野1 |
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34.877472931555729 |
139.09644126670761 |
(0557)53-2591 |
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2 |
棟 |
宗教法人 八幡宮来宮神社 |
1999-03-15 |
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外観のみ随時公開 |
延喜式の式内社ともいわれる八幡宮来宮神社は、1934年国指定となった静寂な社叢のなかに鎮座しています。
本殿は寛政7年(1795)の建築とみられ、約200年の星霜から老朽化が激しく、建物全体も緑藻が覆い、早急な対策が必要でした。
このため八幡野区が主体となり、1997年4月から16ヶ月間に及ぶ本格的な半解体を行い、1998年8月に建築当初の姿に復元されました。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2419.html |
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222089 |
0000000013 |
静岡県 |
伊東市 |
木造宝冠阿弥陀如来坐像 |
モクゾウホウカンアミダニョライザゾウ |
県指定彫刻 |
美術工芸品 |
花岳院 |
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1 |
躯 |
宗教法人 花岳院 |
2009-03-23 |
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非公開 |
県内の宝冠阿弥陀如来像としては、伊豆山走湯山下常行堂本尊で、建仁元年(1201)快慶作の宝冠阿弥陀如来像(現広島・耕山寺蔵)に次いで制作年代が古いものです。
像容は、頬に張りがあり、口元をしっかりと結び、目は明確に刻まれて力強くなっています。また、両手は馬口印を結んでいるのが特徴となっています。
これらの特徴と、高い宝髻(ほうけい)、棚状の像底などから鎌倉時代前期の慶派仏師の作と考えられます。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5411.html |
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222089 |
0000000014 |
静岡県 |
伊東市 |
伊東家の墓 |
イトウケノハカ |
市指定史跡 |
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最誓寺 |
伊東市音無町2-3 |
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34.966895 |
139.096096 |
(0557)37-3752 |
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11 |
基 |
最誓寺 |
1965-10-23 |
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最誓寺の山門脇に10基の五輪塔と法篋印塔1基がまつられています。そのうちの1基には「建武3年9月2日阿蜜」という銘があります。
江戸時代の『伊東誌』には、周囲の畑に散在していたものを最誓寺に集めたと記録されています。
中世の石塔は、石の各部が分離しやすいため、造立当初の姿を保っているものは多くありません。しかし、最誓寺の石塔群は鎌倉時代後期から南北朝期に遡るものが多く、数と時期からして伊東一族の菩提を弔う石塔として見られています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5410.html |
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222089 |
0000000015 |
静岡県 |
伊東市 |
河津三郎祐泰の血塚 |
カワヅサブロウスケヤスノチヅカ |
市指定史跡 |
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河津三郎祐泰の血塚 |
伊東市八幡野字矢熊747 |
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34.865806 |
139.090194 |
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1 |
基 |
伊東市 |
1966-07-25 |
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曽我兄弟の仇討ち物語の発端の場所として名高い、椎の木三本の麓の旧街道(東浦路)沿いにあります。
兄弟の父河津三郎(伊東祐親の嫡男)が落命したと伝承される場所に、後年供養のために積石塚と宝筐印塔が建立され、河津三郎血塚の名で伝えられてきました。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5409.html |
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222089 |
0000000016 |
静岡県 |
伊東市 |
ヒメユズリハ群落 |
ヒメユズリハグンラク |
市指定天然記念物 |
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城ヶ崎海岸門脇灯台付近 |
伊東市富戸字札場842番地の4 |
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34.890306 |
139.138222 |
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富戸共有財産管理組合 |
1967-01-11 |
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ヒメユズリハは日本の暖かい地方の沿岸の照葉樹林に生育する樹の一つで、ユズリハより葉が小さいので、ヒメと名がついています。
城ヶ崎海岸の照葉樹林にもみられ、特に門脇灯台付近では、純林といえるほどの群落となっています。
葉は枝の先にまとまってつき、葉柄は赤く、葉脈は網状に盛り上がいます。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5408.html |
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222089 |
0000000017 |
静岡県 |
伊東市 |
音無神社のタブの木 |
オトナシジンジャノタブノキ |
市指定天然記念物 |
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音無神社 |
伊東市音無町1-13 |
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34.966816 |
139.095656 |
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1 |
本 |
音無神社 |
1968-06-07 |
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タブの木は海に近い暖地性の常緑高木で、クスノキ科に属し、本州中部以南に広く分布しています。
5月初旬頃、新芽が赤く出るものがあり、花は5〜6月に咲きます。花柄は赤く、よく目立ちます。実は黒紫色で7、8月に熟し、樹皮は線香などに使われます。
音無神社のタブノキは二本あり、一つは目通り4.1メートル、高さ12メートル、もう一本は目通り3.5メートル、高さ14メートルとなっています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5407.html |
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222089 |
0000000018 |
静岡県 |
伊東市 |
最誓寺のソテツ |
サイセイジノソテツ |
市指定天然記念物 |
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最誓寺 |
伊東市音無町2-3 |
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34.966895 |
139.096096 |
(0557)37-3752 |
|
1 |
本 |
最誓寺 |
1969-06-23 |
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ソテツは恐竜のいた時代に繁栄した古い植物で、雌雄の株が分かれています。
裸子植物の一種で、日本では九州から沖縄にかけて自生しています。
鹿児島県佐多岬や内の浦町の自生地は、国指定の特別天然記念物です。近隣では河津町峰の正木家のものが、国の天然記念物になっています。
寺や人家に植栽され、市内では松月院にも大きなものがあります。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5406.html |
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222089 |
0000000019 |
静岡県 |
伊東市 |
山神社のムクの木(群落) |
ヤマジンジャノムクノキ(グンラク) |
市指定天然記念物 |
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山神社 |
伊東市荻65 |
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34.935548 |
139.091037 |
(0557)37-1904 |
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1 |
ヶ所 |
宗教法人 山神社 |
1970-05-12 |
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ムクの木はニレ科の落葉高木。関東地方から西に分布している。
伊豆では低地にみられるが、この神社の社叢のように大木がある面積にかたまっているのは珍しい。
ムクノキはケヤキと樹皮や葉が似ているが、葉はケヤキより硬く、物を磨いたり、陶器の模様をつけるのに使われた。樹幹はケヤキより赤っぽい。果実が秋に黒く熟し、食べると甘い。音無神社にも大きな木がある。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5405.html |
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222089 |
0000000020 |
静岡県 |
伊東市 |
伊吹ビャクシン |
イブキビャクシン |
市指定天然記念物 |
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伊東市池字下林893-176 |
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34.892028 |
139.092639 |
(047)479-3939 |
|
1 |
本 |
耀京国際㈱ |
1970-05-12 |
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ビャクシンはヒノキ科の常緑樹で、花は雌雄異株となり、敷地内には2本自生しています。
ビャクシンは、元来、温暖な海岸に生育し、城ヶ崎海岸にもよく見られますが、この樹のように、海から2500メートル離れた、標高230メートルの丘陵に自生していることは非常に珍しいことです。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5404.html |
伊吹ビャクシンは所有者変更のため、現在近くで見るには事前に許可が必要になります。 |
222089 |
0000000021 |
静岡県 |
伊東市 |
八幡宮来宮神社神輿(2基) |
ハチマングウキノミヤジンジャミコシ(ニキ) |
市指定工芸品 |
美術工芸品 |
八幡宮来宮神社 |
伊東市八幡野1番地 |
|
34.877472931555729 |
139.09644126670761 |
(0557)53-2591 |
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2 |
基 |
宗教法人 八幡宮来宮神社 |
1970-05-12 |
神輿・屋台は9月の敬老の日と前日(日曜日・月曜日)に実施される祭典において披露されます。 |
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市内の各神社にはそれぞれ立派な神輿がありますが、八幡野の神輿のうち1基は、輦台(れんだい)裏に安永7年(1778)8月の墨書があり、市内で一番古いものと思われます。
?木(たるき)から四方に垂れている瓔珞(ようらく)といわれる飾り金具への卍紋の取り入れ、屋根の四隅の蕨手(わらびて)の上に燕などは、明治以前の神仏混合の名残をとどめています。
別の1基には、天保11年(1840)の銘があります。安永のものと同様式で、いずれも神輿全体の均整がとれ、簡素の中にも格調の高さを示しています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5403.html |
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222089 |
0000000022 |
静岡県 |
伊東市 |
木下杢太郎生家 |
キノシタモクタロウセイカ |
市指定史跡 |
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伊東市立木下杢太郎記念
館 |
伊東市湯川二丁目11番5号 |
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34.973818 |
139.095773 |
(0557)36-7454 |
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1 |
棟 |
伊東市 |
1970-05-12 |
伊東市立木下杢太郎記念館
休館日
・ 月曜日(ただし祝日の場合は火曜日)
・12月28日〜1月4日 |
09:00 |
16:30 |
10月〜3月の開館時間は9:00~16:00 |
医者であり、文学、絵画など多彩な能力を発揮した郷土の偉人木下杢太郎(本名:太田正雄)が生まれ育った生家は、天保6年(1835)「米惣」の初代、大田惣五郎により創建された木造平屋建てで、伊東市内に現存する最も古い民家です。
建築当初は2階建てで、杢太郎はこの部屋を自室として使用していたが、関東大震災の後に解体され平屋建てとなりました。
現在は市立木下杢太郎記念館の一部として利用しており、木造建築の暮らしを再現できる場としても学習に役立てています。
また、記念館正面の商家の造りは、明治40年(1907)に杢太郎の姉きんの夫で、建築家の河合浩蔵によって設計されたと建造物と言われています。
木造2階建て・寄棟造・桟瓦葺・ケヤキ普請で、外壁が漆喰で塗籠められた店舗建築で、近代の商家の造りが色濃く残っています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5402.html |
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222089 |
0000000023 |
静岡県 |
伊東市 |
八幡宮来宮神社屋台 |
ハチマングウキノミヤジンジャヤタイ |
市指定工芸品 |
美術工芸品 |
八幡宮来宮神社 |
伊東市八幡野1番地 |
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34.870088 |
139.101264 |
(0557)53-2591 |
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1 |
台 |
宗教法人 八幡宮来宮神社 |
1975-09-08 |
神輿・屋台は9月の敬老の日と前日(日曜日・月曜日)に実施される祭典において披露されます。 |
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この屋台は「据え屋台、置き屋台」などと呼ばれ、祭礼のつど組み立てて、浜のお仮屋の近くに据え置き、中でシャギリが行なわれます。
屋台の製作年代は嘉永2年(1849)、松崎の名工石田半兵衛と小沢一仙親子の作と伝承されています。
前後に唐破風を配し、全面に優雅で独創的な彫刻が施された造形は、この地区の伝統的なシャギリと一致するように制作されたと言われています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5401.html |
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222089 |
0000000024 |
静岡県 |
伊東市 |
高見のシイの木 |
タカミノシイノキ |
市指定天然記念物 |
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八幡野120-1 |
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34.877565 |
139.099456 |
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1 |
本 |
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1976-05-12 |
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スダジイは日本の暖かい地方の沿岸に生育する常録の照葉樹林を構成する樹です。
伊東市内でも、仏現寺、天照皇大神社、音無神社、葛見神社、鹿島神社などの森に大木が見られます。
この樹は鎌倉時代より以前の樹齢をもつと伝えられています。樹勢は旺盛で、5月ごろに穂の形の花をつけ、実は食用となります。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5400.html |
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222089 |
0000000025 |
静岡県 |
伊東市 |
杉崎神社の鰐口 |
スギサキジンジャノワニグチ |
市指定工芸品 |
美術工芸品 |
松原神社 |
伊東市松原706 |
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34.970709 |
139.090385 |
(0557)37-1317 |
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2 |
個 |
松原神社 |
1976-12-02 |
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非公開 |
杉崎神社は松原神社の北側斜面にあった神社で、現在は松原神社に合祀されています。
鰐口とは、神社やお寺の軒先に吊り下げられた、銅または鉄製の鋳物で、参拝者はこれの縄緒を振って音を出し参拝します。
杉崎神社には2個の鰐口が所蔵され、いずれも銅製で、室町時代のものと江戸時代の銘文が陰刻されています。
杉崎神社には杉崎稲荷の異称があり、稲荷信仰に基づくものとみられるが、詳しい由来等は不明です。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5399.html |
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222089 |
0000000026 |
静岡県 |
伊東市 |
天照皇大神社本殿 |
テンショウコウタイジンジャホンデン |
市指定建造物 |
建造物 |
天照皇大神社 |
伊東市芝町9 |
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34.967392 |
139.105398 |
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1 |
棟 |
宗教法人 天照皇大神社 |
1979-02-27 |
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外観のみ随時公開 |
1967年に静岡県天然記念物に指定された社叢の中に鎮座しています。
祭神は天照皇大神と伝えられ、本殿は一間社流造で、一部に彩色を施しています。
元禄9年造営と認められるものが部分的ではあるがとどめており、伊豆地方における、数少ない17世紀の様式を遺しています。
棟札に「天正十六戌子年願主地頭古屋周防守資吉(中略)豆州東浦伊東郷代官中村若狭守吉勝名主下田新左エ門」と記すものがあり、天正年間以前に遡る棟札のとして非常に珍しく、神社の歴史を伝えるだけでなく、不明な点の多い中世段階の伊東の諸情勢を伝える史料としても注目されています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5398.html |
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222089 |
0000000027 |
静岡県 |
伊東市 |
音無神社のシイの木 |
オトナシジンジャノシイノキ |
市指定天然記念物 |
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音無神社 |
伊東市音無町1-13 |
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34.966816 |
139.095656 |
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1 |
本 |
音無神社 |
1979-09-26 |
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音無神社は源頼朝と伊東祐親の娘八重姫が逢っていた場所と伝えられています。
神社内には、このスダジイのほかにムクノキ、指定文化財のタブの木があり、「音無の森」としてひっそりとした社を形成しています。
伊東市内にはスダジイの巨木が、神社や寺の森に多くみられる。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5397.html |
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222089 |
0000000028 |
静岡県 |
伊東市 |
伝・伊東祐親の墓所 |
デン・イトウスケチカノボショ |
市指定史跡 |
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伊東市大原一丁目11 |
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34.962694 |
139.100417 |
(0557)37-3416 |
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1 |
基 |
宗教法人 東林寺 |
1979-09-26 |
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伊東家は、藤原家を祖先とする一族で、伊東祐親が活躍した平安時代後期には、伊東のみならず、河津町や伊豆市の一部を所領していました。
祐親は、同族である工藤祐経との世襲のもつれから、赤沢の椎ノ木三本付近で、嫡男河津三郎祐泰が討たれ、このことが「曽我兄弟の仇討ち」につながっていきました。
また、伊豆に流された源頼朝を丁重に預かっていましたが、娘八重姫との間に出来た千鶴丸に対し、苦渋の決断をしいられたと言われています。
源平合戦では平氏側にいましたが、勢力を増す源氏に対し着くことを頼朝から打診されましたが、平氏への忠義をつくし、自刃したと言われています。
墓は安山岩の五輪塔で、空風輪、火輪、水輪、地輪の時期の異なる部材の組み合わせで構成されている。
文字ははっきりとした薬研彫りで刻まれ、高さ140.5センチメートルという大きさから、領主祐親を讃えるものとして製作されたと伝えられてきた。
空風輪、火輪、水輪は14世紀前半、地輪が13世紀の製作と思われる。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5396.html |
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222089 |
0000000029 |
静岡県 |
伊東市 |
浜崎家の木造毘沙門天立像 |
ハマザキケノモクゾウビシャモンテンリツゾウ |
市指定彫刻 |
美術工芸品 |
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1 |
躯 |
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1988-04-26 |
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非公開 |
宇佐美の浜崎家の先祖は、関ヶ原の戦いに敗れた西軍の武士で、石田三成の守護仏であったというこの仏像を背負って逃れ、土着したと伝承されています。
木像は寄木造りで、色彩が施され、宝冠を被り、光背に輪光を配し右手に三叉戟(さんさげき)をとり、左手に宝塔を奉持しています。胴にはくびれた鎧を着用し、一邪鬼の上に立つ武装忿怒形のこの像は、非常に見事な造りとなっています。
南北朝頃(14世紀)の製作と推定され、胎内には修理の記録や経文が納められています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5395.html |
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222089 |
0000000030 |
静岡県 |
伊東市 |
旧木造温泉旅館東海館 |
キュウモクゾウオンセンリョカントウカイカン |
市指定建造物 |
建造物 |
旧木造温泉旅館東海館 |
伊東市東松原町12番10号 |
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34.97165 |
139.097072 |
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1 |
棟 |
伊東市 |
1999-03-30 |
休館日
第3火曜日及び1月1日(元旦) |
09:00 |
21:00 |
入浴時間 11:00?20:00
入館料 大人 200円 子供 100円 (団体割引あり)
入浴料 大人 500円 子供 300円 |
「旧東海館」と「旧いな葉」(現ケイズハウス伊東)が軒をそろえ、松川に灯を映す景観は、湯の町情緒をかもし出す伊東温泉のシンボルとなっています。
東海館は、材木商だった稲葉安太郎氏によって、河合別荘の一部の跡地に1928年創業されました。
木造3階建て(一部5階)建築面積1320平方メートルの建築は、昭和初期の面影を良くとどめ、いたる所に使用される銘木・奇木の妙と、建具や細部の意匠に当時の職人の腕の冴えをみることが出来ます。
120畳敷きの大広間は圧巻で、当時の旅行形態も覗えます。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5394.html |
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222089 |
0000000031 |
静岡県 |
伊東市 |
三島神社本殿 附棟札2枚 |
ミシマジンジャホンデンツケタリムナフダニマイ |
市指定建造物 |
建造物 |
三島神社 |
伊東市富戸686 |
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34.906184 |
139.134126 |
(0557)51-2114 |
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1 |
棟 |
宗教法人 三島神社 |
1999-03-30 |
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外観のみ随時公開 |
富戸の三島神社の創建は定かではないが、天平年間の創始と伝えられています。社伝によると、古くは事代主命をまつる三島神社を主とし、若宮八幡宮・第六天王神社・山神社を合祀しています。
享和3年(1803)に建立された現本殿は、三島神社と若宮八幡を合祀する二間社流造の社殿形式で、向かって右側に三島神社、左に若宮八幡宮をまつっています。
社殿は寛政7年(1795)に建立された、八幡野区の八幡宮来宮神社本殿と同じ形式であり、先に建立された八幡宮来宮神社の二間社流造を参考にして、造営されたものと思われます。
大工の棟梁は田子村(現西伊豆町)の土屋左七、木挽きは八幡野村の稲葉久五郎と十足村の小川藤八、基礎は信州稲郡原口村の石工北原清吉があたりました。総ケヤキ造・柿葺き屋根を持ち、静かな中にも荘厳な趣のある建築となっています。
なお、御祭神は「御島神」の異名を伝え、相殿の若宮八幡は「千鶴丸」との伝承をもっています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5393.html |
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222089 |
0000000032 |
静岡県 |
伊東市 |
阿原田八幡神社の鰐口 |
アワラダハチマンジンジャノワニグチ |
市指定工芸品 |
美術工芸品 |
阿原田八幡神社 |
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1 |
個 |
阿原田八幡神社 |
2002-03-28 |
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非公開 |
この鰐口は、宇佐美の阿原田にある八幡神社に永く保存されていたものです。
銘文から、文明17年(1485)の製作と思われ、市の中では杉崎神社の鰐口(長禄4年=1460)に次ぐ古いものとなっています。
銘文にある「武州水ハト郷ナミ木ノ村」とは、現在のさいたま市大宮地区にあたるものとみられ、江戸時代には並木村と呼ばれていた地区です。
中世の宇佐美氏と関わりが深いとされる阿原田地区の八幡神社に、市外の鰐口が伝わった理由や、「三湯」という権現名、「正金」という人物の名など、いろいろと考えさせられるものがあるが、数少ない中世の遺品として貴重である。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5392.html |
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222089 |
0000000033 |
静岡県 |
伊東市 |
かんのん浜ポットホール |
カンノンハマポットホール |
市指定天然記念物 |
|
かんのん浜 |
伊東市八幡野字牛戸背1030-10
地先海岸空地通称 かんのん浜 |
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34.876972 |
139.126361 |
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1 |
ヶ所 |
伊東市 |
2002-03-28 |
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城ヶ崎海岸は、今からおよそ4000年前に、大室山火山溶岩流によって形成されたものですが、延長9キロメートルにわたる磯浜には、大小さまざまなポットホールが存在しています。
ポットホールとは、日本語で甌穴(おうけつ)と呼ばれ、岩石が川の水流によって動き回り、河床などに穴をあけた状態などのことを指します。
かんのん浜ポットホールは、直径1.2メートルの甌穴の中に、この甌穴をつくった岩石がほぼ完全な球体となって残っている(直径約70)という点で、非常に珍しいものとなっています。
このポットホールは、岩盤の亀裂部分にあった岩石が、波の出入りにより突き動かされ、次第に動きながら沈み込み、甌穴と球体を作っていきました。
現在でも球体は動き続けていることから、甌穴は下に広がり、球体自身も少しづつ身を削っています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5391.html |
ポットホールのある場所は、足元の悪い場所にあります。伊東歴史案内人会など見学経験のある方の同伴が望ましいです。
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222089 |
0000000034 |
静岡県 |
伊東市 |
吉田隧道 |
ヨシダズイドウ |
市指定史跡 |
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伊東市吉田字大池833
字池ノ坂855-3ほか |
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34.9275 |
139.1128888889 |
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2 |
ヶ所 |
吉田区 |
2003-05-22 |
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吉田隧道は、一碧湖の水を吉田村の集落へ通す、水田灌漑用水のトンネルとして、江戸時代に最初の工事が行なわれました。
1930年の北伊豆地震による内部の崩落により、1933年に掘り直されましたが、再び使用に耐えなくなって、2003年に新トンネルが完成しました。
旧トンネルの取水口は1921年、吐口は1933年に作られたものです。取水口には、荻の石工が関わっており、木製の栓により水量の調整を図っていたことがわかります。
水の無かった吉田村にとって、一碧湖の水を通すことで、農業生産が飛躍的にあがることから、何度も改修を重ねながら、大事にされてきました。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5390.html |
緯度、経度は隧道入口のものです。 |
222089 |
0000000035 |
静岡県 |
伊東市 |
鳴戸吉兵衛写本「伊東誌」 |
ナルトキチベエシャホン「イトウシ」 |
市指定典籍 |
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6 |
冊 |
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2003-05-22 |
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和田村濱野建雄が、江戸時代後期の嘉永年間にまとめたと言われる「伊東誌」は、江戸時代の伊東7ヶ村(和田、新井、湯川、松原、竹之内、岡、鎌田)の神社仏閣や人物、産物を記した地誌として、伊東の歴史を知るための不朽の名著です。
「伊東誌」の原本は、幸手屋濱野家で保管されていましたが、関東大震災の被害により、ほとんどが失われてしまいました。
「伊東誌」は出版されることはありませんでしたが、いくつかの写本があり、この「鳴戸本」と呼ばれる写本は、全6冊が完全にそろい、保存状態も良好なことから、後世に残しておきたい貴重な史料です。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5389.html |
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222089 |
0000000036 |
静岡県 |
伊東市 |
元禄地震津波供養塔(行蓮寺) |
ゲンロクジシンツナミクヨウトウ(ギョウレンジ) |
市指定歴史資料 |
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行蓮寺 |
伊東市宇佐美337 |
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35.008858 |
139.086724 |
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1 |
基 |
宗教法人 行蓮寺 |
2006-03-28 |
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元禄地震は、元禄16年(1703)11月22日夜半に起こった地震で、マグニチュード7.9?8.2の海溝型巨大地震と言われています。
伊豆半島に多くの被害を出しましたが、伊東市の中でも特に被害が大きかったという記録が残るのは、和田村・川奈村・宇佐美村で、死者を供養する石造塔も、この三つの地域に残っています。
行蓮寺の津波供養塔は、宝暦12年(1762)11月23日に建立されました。元禄津波犠牲者の60回忌に供養のため建立され、碑文には元禄地震津波襲来のようす、寛永10年(1633)の寛永小田原地震の津波襲来のようすが記録されています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5388.html |
供養塔は、一般墓地区域内にあります。
見学される方は、他の墓地に入らぬよう、マナーをお守りいただくようご注意ください。 |
222089 |
0000000037 |
静岡県 |
伊東市 |
元禄地震津波供養塔(佛現寺) |
ゲンロクジシンツナミクヨウトウ(ブツゲンジ) |
市指定歴史資料 |
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佛現寺 |
伊東市物見が丘39-1 |
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34.966806 |
139.102833 |
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2 |
基 |
宗教法人 佛現寺 |
2006-03-28 |
|
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|
|
元禄地震は、元禄16年(1703)11月22日夜半に起こった地震で、マグニチュード7.9?8.2の海溝型巨大地震と言われています。
伊豆半島に多くの被害を出しましたが、伊東市の中でも特に被害が大きかったという記録が残るのは、和田村・川奈村・宇佐美村で、死者を供養する石造塔も、この三つの地域に残っています。
仏現寺の津波供養塔には、元禄地震2基と関東大震災1基の供養塔があり、村内にあったものを現在の場所に集めたものです。
1基は海岸の旧山平旅館(現游心楼山へい)にあったもので、被災者163人を弔うものです。もう1基は、境内にあったもので、100余人の犠牲者の供養する文字が記されています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5387.html |
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222089 |
0000000038 |
静岡県 |
伊東市 |
元禄地震津波供養塔(恵鏡院) |
ゲンロクジシンツナミクヨウトウ(エキョウイン) |
市指定歴史資料 |
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恵鏡院 |
伊東市川奈1312-1 |
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34.951553 |
139.126506 |
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|
1 |
基 |
宗教法人 恵鏡院 |
2006-03-28 |
|
|
|
|
元禄地震は、元禄16年(1703)11月22日夜半に起こった地震で、マグニチュード7.9?8.2の海溝型巨大地震と言われています。
伊豆半島に多くの被害を出しましたが、伊東市の中でも特に被害が大きかったという記録が残るのは、和田村・川奈村・宇佐美村で、死者を供養する石造塔も、この三つの地域に残っています。
恵鏡院の津波供養塔は、かつて村内にあった林光院にあったものを、現在の地に移したものと言われています。供養塔には地震津波により、200人余りの川奈村民が犠牲になったことが記されています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5386.html |
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222089 |
0000000039 |
静岡県 |
伊東市 |
大室山スコリアラフト |
オオムロヤマスコリアラフト |
市指定天然記念物 |
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さくらの里 |
伊東市富戸字先原1317-4 |
さくらの里内 |
34.906687 |
139.090533 |
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1 |
ヶ所 |
池総有財産管理会
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2010-05-26 |
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約4000年前に噴火した大室山は、大量のスコリア(コークス状の火山噴出物)を噴出した後に溶岩流を流し出したため、溶岩流がスコリアを包み込んで流れた「スコリアラフト」が、溶岩平野の周辺でいくつか見られます。
さくらの里にあるスコリアラフトは、その代表的なもので、中に詰まっているスコリアとそれを包む溶岩が、まるでオムライスのような構造になっている状態を見ることができます。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5385.html |
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222089 |
0000000040 |
静岡県 |
伊東市 |
江戸城に係る石丁場遺跡
(宇佐美北部石丁場群洞ノ入Ⅰ遺跡i地点) |
エドジョウニカカルイシチョウバイセキ
(ウサミホクブイシチョウバグントウノイリイチイセキアイチテン) |
市指定史跡 |
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伊東市宇佐美3620−1ほか |
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35.015086312819 |
139.086809456357 |
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1 |
ヶ所 |
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2011-09-16 |
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石丁場遺跡(いしちょうばいせき)とは、豊富な石材のある伊豆の中にある採石場で、江戸時代初期の徳川家による江戸城修築では、伊東をはじめとする伊豆半島の石材が大量に使用されました。
伊東市内の山中には、今でも採石された跡が多く残っており、石を割るための矢穴石(やあないし)や刻印石(こくいんせき)など採石普請に関わった石工たちの息吹が感じられます。
洞ノ入1遺跡i地点は、宇佐美市街地北側のナコウ山から連なる尾根の南側斜面地の中腹にあり、ナコウ山山頂付近には、「羽柴越中守石場」(=細川忠興)の銘をもつ標識石など、重要な遺構が多く残っています。
遺跡の詳細内容は、今後更に調査をすすめる必要がありますが、江戸時代初期に石丁場遺跡として稼動していたことは間違いないと推定される場所です |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5384.html |
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222089 |
0000000041 |
静岡県 |
伊東市 |
城ケ崎海岸燕島(つばくろじま)のアマツバメ集団生息地 |
ジョウガサキカイガンツバクロジマノアマツバメシュウダンセイソクチ |
市指定天然記念物 |
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城ヶ崎海岸燕島 |
伊東市富戸字札場842-4地先 |
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34.890611 |
139.139861 |
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1 |
ヶ所 |
地番なく所有者無し |
2015-06-30 |
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城ケ崎海岸の門脇崎からすぐそばに「燕島」(つばくろじま)と呼ばれている離れ島があります。
ここは、毎年3月下旬から4月上旬に、夏鳥として東南アジア方面から渡来するアマツバメの繁殖地となっています。5月?7月に産卵をし、子育て等を行い、9月ごろこの島を離れ、東南アジア方面に渡り冬を過ごします。
燕島は、ごく間近でその群飛が見られることから、耳元をかすめて飛ぶその羽音は凄まじく、鳥類学者にもその存在がよく知られ、多くの鳥類図鑑にも写真と共に紹介されています。また、陸地と離れていることから、ツバメの天敵となる四足動物類の侵入が無いことも絶好の環境となっているようです。
文化12年(1815)に伊能忠敬の測量隊が記した「伊能忠敬測量日記27」(原題『乙亥丙子量地日記天』)の中12月3日の条に、「字門脇鼻。右一町余沖燕島根周一町計。」と燕島の名前が見えることから、古くからツバメの飛来が確認された場所として呼ばれていたと考えられます。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5383.html |
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222089 |
0000000042 |
静岡県 |
伊東市 |
伊東市内の鹿島踊(宇佐美八幡) |
イトウノカシマオドリ(ウサミハチマン) |
市指定無形民俗文化財 |
芸能 |
八幡神社 |
伊東市宇佐美八幡1917ほか |
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35.004052 |
139.082404 |
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八幡鹿島踊り保存会 |
2015-06-30 |
八幡神社例祭(10月第2土、日曜日) |
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伊豆東海岸の鹿島踊は、小田原市石橋から、東伊豆町北川まで3市3町の22地区に伝わっていましたが、現在では17地区に伝承されています。
伊東市内では、宇佐美(八幡・初津)、湯川、新井、富戸に伝承されています。
(かつては川奈でも伝承されていました。)
鹿島踊は、歌は初句をうたう「歌上げ」などと言われる者と、踊り手との掛け合いでうたわれますが、踊りの人数は10?20数名と大きく違い、円形や列形の隊形を歌に合わせて繰り返します。
踊り手の採りものは、基本として幣束と扇、特別なものとしてヒシャクとオカガミがあります。
鹿島踊は各地に伝わる中で、その地の個や集団の関係を絡ませて、地域の独自色を強めて行ったと思われます。
伊東を含めた東伊豆地方に多いというのは、海辺の集落にとって大事である、海上の安全祈願や供養をはじめとする地域の信仰を象徴する芸能として、大事に継承されてきたと言えます。
本文は『東伊豆地方の鹿島踊』(2011、静岡県教育委員会)を参考としています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2389.html |
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222089 |
0000000043 |
静岡県 |
伊東市 |
伊東市内の鹿島踊(宇佐美初津) |
イトウノカシマオドリ(ウサミハヅ) |
市指定無形民俗文化財 |
芸能 |
春日神社 |
伊東市宇佐美2798ほか |
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35.002495 |
139.081636 |
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初津鹿島踊り保存会 |
2015-06-30 |
春日神社例祭(10月14日、15日(固定日)) |
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伊豆東海岸の鹿島踊は、小田原市石橋から、東伊豆町北川まで3市3町の22地区に伝わっていましたが、現在では17地区に伝承されています。
伊東市内では、宇佐美(八幡・初津)、湯川、新井、富戸に伝承されています。
(かつては川奈でも伝承されていました。)
鹿島踊は、歌は初句をうたう「歌上げ」などと言われる者と、踊り手との掛け合いでうたわれますが、踊りの人数は10?20数名と大きく違い、円形や列形の隊形を歌に合わせて繰り返します。
踊り手の採りものは、基本として幣束と扇、特別なものとしてヒシャクとオカガミがあります。
鹿島踊は各地に伝わる中で、その地の個や集団の関係を絡ませて、地域の独自色を強めて行ったと思われます。
伊東を含めた東伊豆地方に多いというのは、海辺の集落にとって大事である、海上の安全祈願や供養をはじめとする地域の信仰を象徴する芸能として、大事に継承されてきたと言えます。
本文は『東伊豆地方の鹿島踊』(2011、静岡県教育委員会)を参考としています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2389.html |
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222089 |
0000000044 |
静岡県 |
伊東市 |
伊東市内の鹿島踊(湯川) |
イトウノカシマオドリ(ユカワ) |
市指定無形民俗文化財 |
芸能 |
鹿島神社 |
静岡県伊東市湯川336ほか |
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34.976453 |
139.089853 |
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湯川自治会 |
2015-06-30 |
鹿島神社秋季大祭(10月14日(宵祭り)、
15日(本祭り))
菅原神社例祭(1月25日)
津島神社例祭(7月16日) |
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伊豆東海岸の鹿島踊は、小田原市石橋から、東伊豆町北川まで3市3町の22地区に伝わっていましたが、現在では17地区に伝承されています。
伊東市内では、宇佐美(八幡・初津)、湯川、新井、富戸に伝承されています。
(かつては川奈でも伝承されていました。)
鹿島踊は、歌は初句をうたう「歌上げ」などと言われる者と、踊り手との掛け合いでうたわれますが、踊りの人数は10?20数名と大きく違い、円形や列形の隊形を歌に合わせて繰り返します。
踊り手の採りものは、基本として幣束と扇、特別なものとしてヒシャクとオカガミがあります。
鹿島踊は各地に伝わる中で、その地の個や集団の関係を絡ませて、地域の独自色を強めて行ったと思われます。
伊東を含めた東伊豆地方に多いというのは、海辺の集落にとって大事である、海上の安全祈願や供養をはじめとする地域の信仰を象徴する芸能として、大事に継承されてきたと言えます。
本文は『東伊豆地方の鹿島踊』(2011、静岡県教育委員会)を参考としています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2389.html |
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222089 |
0000000045 |
静岡県 |
伊東市 |
伊東市内の鹿島踊(新井) |
イトウノカシマオドリ(アライ) |
市指定無形民俗文化財 |
芸能 |
新井神社 |
伊東市新井2-15-1ほか |
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34.97073 |
139.109327 |
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新井鹿島会 |
2015-06-30 |
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伊豆東海岸の鹿島踊は、小田原市石橋から、東伊豆町北川まで3市3町の22地区に伝わっていましたが、現在では17地区に伝承されています。
伊東市内では、宇佐美(八幡・初津)、湯川、新井、富戸に伝承されています。
(かつては川奈でも伝承されていました。)
鹿島踊は、歌は初句をうたう「歌上げ」などと言われる者と、踊り手との掛け合いでうたわれますが、踊りの人数は10?20数名と大きく違い、円形や列形の隊形を歌に合わせて繰り返します。
踊り手の採りものは、基本として幣束と扇、特別なものとしてヒシャクとオカガミがあります。
鹿島踊は各地に伝わる中で、その地の個や集団の関係を絡ませて、地域の独自色を強めて行ったと思われます。
伊東を含めた東伊豆地方に多いというのは、海辺の集落にとって大事である、海上の安全祈願や供養をはじめとする地域の信仰を象徴する芸能として、大事に継承されてきたと言えます。
本文は『東伊豆地方の鹿島踊』(2011、静岡県教育委員会)を参考としています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2389.html |
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222089 |
0000000046 |
静岡県 |
伊東市 |
伊東市内の鹿島踊(富戸) |
イトウノカシマオドリ(フト) |
市指定無形民俗文化財 |
芸能 |
三島神社 |
伊東市富戸686ほか |
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34.906184 |
139.134126 |
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富戸鹿島踊り保存会 |
2015-06-30 |
三島神社例祭(10月28日、29日(固定日)) |
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伊豆東海岸の鹿島踊は、小田原市石橋から、東伊豆町北川まで3市3町の22地区に伝わっていましたが、現在では17地区に伝承されています。
伊東市内では、宇佐美(八幡・初津)、湯川、新井、富戸に伝承されています。
(かつては川奈でも伝承されていました。)
鹿島踊は、歌は初句をうたう「歌上げ」などと言われる者と、踊り手との掛け合いでうたわれますが、踊りの人数は10?20数名と大きく違い、円形や列形の隊形を歌に合わせて繰り返します。
踊り手の採りものは、基本として幣束と扇、特別なものとしてヒシャクとオカガミがあります。
鹿島踊は各地に伝わる中で、その地の個や集団の関係を絡ませて、地域の独自色を強めて行ったと思われます。
伊東を含めた東伊豆地方に多いというのは、海辺の集落にとって大事である、海上の安全祈願や供養をはじめとする地域の信仰を象徴する芸能として、大事に継承されてきたと言えます。
本文は『東伊豆地方の鹿島踊』(2011、静岡県教育委員会)を参考としています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2389.html |
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222089 |
0000000047 |
静岡県 |
伊東市 |
比波預天神社本殿 附棟札2枚 |
ヒハヨテンジンジャホンデン ツケタリムナフダニマイ |
市指定建造物 |
建造物 |
比波預天神社 |
伊東市宇佐美432 |
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35.010654 |
139.083153 |
(0557)48-9552 |
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1 |
棟 |
宗教法人 比波預天神社 |
2017-04-18 |
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外観のみ随時公開 |
比波預天神社の創建は定かではありませんが、式内社(しきないしゃ)にあたる神社として歴史ある神社と推察され、祭神は、「加理波夜須多祁比波預命(かりはやすたけひはよのみこと)」となっています。
本殿は流造(ながれづくり)で、現存する2枚の棟札があります。
1枚は寛政元(1789)年の棟札で、江戸時代の社殿の修理記録が記載されています。
もう1枚は明治4(1871)年の棟札で、保元2(1157)年に社殿が再建されたこと、安政5(1858)年に全焼し、氏子が発起人となり8年かけ、明治4(1871)年9月に完成し、9月25日に遷宮の式が行われたとなっていることから、現在の社殿は明治4年の建築物であることが分かります。
本殿は、棟先端の竜の彫刻や柱正面の彫刻など、多様な彫刻が施されており、このような彫刻は、下田市白浜神社、東伊豆町大川の三島神社などと並び、本殿を引き立たせる彫刻としては伊豆東海岸でも代表的なものであると言えます。前述の棟札からは、沼津の芳造らが彫刻をし、大工は宇佐美村の渡邊作兵衛が行っています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5423.html |
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222089 |
0000000048 |
静岡県 |
伊東市 |
鎌田城跡 |
カマダジョウアト |
市指定史跡 |
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鎌田城山 |
伊東市鎌田1295-1 |
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34.939758 |
139.077351 |
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1 |
ヶ所 |
鎌田共有財産管理委員会 |
2017-10-19 |
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鎌田城跡は、松川湖に近い城山にあり、標高は312メートルあり、城郭遺構は山頂部に集中していますが、過去に水田や畑地等に利用された形跡もなく、保存状態が極めて良好です。
1997年に縄張調査、2002、2003年の市史編さん事業で発掘調査を行いました。
これまでの鎌田城の年代は、縄張調査などから後北条氏時代(16世紀代)の城であり、規模の大きさなどから後北条氏後半期の有力家臣が築いた城であるとみられてきましたが、発掘調査で出土した遺物は、いずれも15世紀末頃の陶磁器類であって、後北条氏時代を示す16世紀代の遺物は含まれていません。
15世紀末の段階で、鎌田城のような城郭を構え得る勢力には伊東氏以外には考えられませんが、明応2年(1493)に北条早雲が堀越御所(伊豆の国市)を急襲して伊豆への侵入戦を開始した時期にあたっていることから、伊東家が早雲に敵対行動を執る過程で落城し、その後は廃城されたと思われます。
また、発掘調査からは、落城時に強い火に焼かれて、そのまま放置され、この城は後世に再利用されることがなかった事が分かっています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5381.html |
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222089 |
0000000049 |
静岡県 |
伊東市 |
東浦路(朝善寺道標−網代峠区間) |
ヒガシウラジ(チョウゼンジドウヒョウーアジロトウゲクカン) |
市指定史跡 |
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伊東市宇佐美3595番1地先 |
|
35.017278
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139.080861
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|
1 |
ヶ所 |
伊東市 |
2018-04-19 |
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伊豆半島の交通手段は、いくつもの険しい山々があることから、遠方への主な手段は、船を使った水運が主体でした。
江戸時代になると、温泉湯治が盛んになり、次第に陸路も整備されはじめ、幕末までには今の旧街道が整ってきました。
江戸時代の文献からは、東海岸の陸路を、老中松平定信をはじめ、浦賀奉行小笠原長保、安積艮斎、吉田松陰、川路聖謨などが通行していることがわかります。
また、1886年陸軍陸地測量部の地図からは、現代の道路も旧街道の一部を利用していることが分かります。
当時は、現在の国道135号のように統一された呼称は無く、文献や石造物から「東浦路」、「東浦筋」、「東浦道」、あるいは、その土地で生活している人にとって、「下田道」や「伊東道」などの進行方向先を示す呼称が使用されていました。
大正14(1925)年に伊東?熱海間の自動車道が開通し、交通形態が大きく変わっていきますが、宇佐美?網代間は全くの新道であったため、旧道は道路の拡張などによる改変を受けませんでした。
このため、宇佐美‐網代間は旧街道の面影を色濃く残しており、歴史的にも非常に価値が高いことから、末永く後世に伝え残す必要があります。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/bunka_sports/bunka/bunkazai/1/5424.html |
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222089 |
0000000050 |
静岡県 |
伊東市 |
旅館いな葉 |
リョカンイナバ |
登録有形文化財 |
建造物 |
ケイズハウス伊東温泉 |
伊東市東松原町12番13号 |
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34.971778 |
139.097361 |
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1 |
棟 |
ケイズハウス |
1998-09-02 |
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大正年間から昭和初期にかけて、伊東温泉の中心地的旅館街であった松川沿いには、松川館・大東館・東海館・カタナヤ旅館など、旅館建築が軒を並べて建っていた。
「旅館いな葉」もその一軒で、木造3階建て(地下1階、一部地上4階)、建築面積は1460平方メートル。大正末年頃(大東館)として建築され、独特な形状の望楼は「油差し」と呼ばれ親しまれてきた。
内部は、いたる所に銘木が使用され、特に玄関ホールのケヤキの床板は見事で、磨きこまれた時代色も好ましい。客室の意匠も工夫が凝らされ、伝統的温泉旅館の様式を良く伝えている。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2388.html |
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222089 |
0000000051 |
静岡県 |
伊東市 |
旧伊東警察署松原交番(伊東観光番) |
キュウイトウケイサツショマツバラコウバン(イトウカンコウバン) |
登録有形文化財 |
建造物 |
伊東観光番 |
伊東市渚町144-1 |
|
34.971111 |
139.098417 |
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1 |
棟 |
伊東市 |
2009-01-08 |
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県内に現存する最古の交番建築。
現在はボランティアガイドの拠点として利用されている。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2387.html |
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222089 |
0000000052 |
静岡県 |
伊東市 |
伊東市立木下杢太郎記念館 |
イトウシリツキノシタモクタロウキネンカン |
登録有形文化財 |
建造物 |
伊東市立木下杢太郎記念館 |
伊東市湯川二丁目11番5号 |
|
34.973818 |
139.095773 |
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1 |
棟 |
伊東市 |
2015-03-26 |
休館日
・ 月曜日(ただし祝日の場合は火曜日)
・12月28日〜1月4日
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09:00 |
16:30 |
10月〜3月の開館時間は9:00~16:00 |
伊東市立木下杢太郎記念館は、伊東市出身の医学者にして、詩、文学、美術など広い分野で優れた功績を残した木下杢太郎(本名:太田正雄・1885年?1945年)をたたえ、その資料を展示公開し、教育文化の振興に寄与するため、1985年10月、杢太郎の生誕100年を記念してオープンしました。
記念館の外観は、1907年の建築をそのままに、土蔵造りになまこ壁を配し、いかにも長い歳月の経過を物語って、見る人の心を引きつけます。この建物は、2015年3月に国の文化財に登録されました。
記念館には、杢太郎の著書、絵画、遺愛品、写真をはじめ、杢太郎と交流のあった文学者等の書簡や作品、杢太郎の生家である太田家の人々の遺愛品や当時の生活道具が展示されています。館内では、オリジナルビデオ「木下杢太郎の生涯」(約12分)も鑑賞できます。
また、展示室裏手には、天保6年(1835年)に建てられた杢太郎生家が当時のままの状態で保存され、伊東市内において現存する最古の民家として市指定文化財となっています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/3/2380.html |
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222089 |
0000000053 |
静岡県 |
伊東市 |
川奈ホテル本館 |
カワナホテルホンカン |
登録有形文化財 |
建造物 |
川奈ホテル |
伊東市川奈1459-2ほか |
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34.939694 |
139.140639 |
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1 |
棟 |
株式会社プリンスホテル |
2016-02-25 |
|
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川奈ホテルは、昭和3年(1928)に開業したゴルフコースに隣接する本格的なリゾートホテルとして、昭和11年(1936)に建設されました。
海辺に佇む南スペインの建築を彷彿させる建物で、本館を中央に据え、南北にはやや軸線をずらすことにより、東側に突出しているサンパーラーからだけでなく、客室棟とダイニングなどのいずれの場所からも、眼下に広がるゴルフコース越しに太平洋の眺望が楽しめるように設計されています。
雄大眺望を活かすため、海側のテラスは高大な空間にタイル貼の列柱を並べて、隣に張り出すサンパーラーは先端を半円形平面のガラス張りとしています。
吹抜けのロビーやメインダイニングでは、様々な洋風意匠を駆使し、随所に高級素材や装飾タイルなどを使い、気品のある優れた造形でまとめています。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2386.html |
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222089 |
0000000054 |
静岡県 |
伊東市 |
川奈ホテル田舎家 |
カワナホテルイナカヤ |
登録有形文化財 |
建造物 |
川奈ホテル |
伊東市川奈1460-4 |
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34.940361 |
139.140333 |
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1 |
棟 |
株式会社プリンスホテル |
2016-02-25 |
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田舎家は、現在食事をする施設として利用されていますが、御殿場から移築されたものと伝えらる江戸時代中期頃の民家建築で、一間ごとに立つ柱など古い特徴が見られます。 |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2386.html |
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222089 |
0000000055 |
静岡県 |
伊東市 |
旧東郷家別邸(伊東東郷記念館) |
キュウトウゴウケベッテイ
(イトウトウゴウキネンカン) |
登録有形文化財 |
建造物 |
伊東東郷記念館 |
伊東市渚町58-1 |
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34.970972 |
139.100167 |
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1 |
棟 |
東郷神社 |
2019-12-05 |
定時会館:土曜日、日曜日、祝日、第3火曜日 |
10:00 |
16:00 |
10月〜3月の開館時間は10:00~15:00
事前予約(原則5日前まで)により随時開館
入場料一人200円(中学生以下無料) |
かつて海を臨んだ敷地に東郷平八郎が営んだ別邸。竣工三年後に離れを増築した。北に玄関を構える木造平屋建で、南東の庭に面して座敷を配し、下屋の縁を廻らす。座敷飾にカエデなどの銘木を使い端正な意匠でまとめる。保養地伊東の戦前の別邸として希少。 |
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222089 |
0000000056 |
静岡県 |
伊東市 |
旧深澤家住宅主屋
(古民家割烹ひよけ家) |
キュウフカザワケジュウタクオモヤ
(コミンカカッポウヒヨケヤ) |
登録有形文化財 |
建造物 |
古民家割烹ひよけ家 |
伊東市宇佐美1748-1 |
|
35.006917 |
139.084194 |
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1 |
棟 |
株式会社ホームデザイン |
2020-08-17 |
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旧深澤家住宅は昭和6年(1931)に建築された海岸沿いの旧道に東面する二階建ての町屋である。一階前面を下屋とし、北寄りに出入口を設け、他は格子とする。相模灘を望む二階はほぼ全面をガラス窓として庇と高欄を付す。上下階とも欄間や下地窓などに瀟洒な意匠を施す。宇佐美地区で希少な戦前の和風住宅として貴重である。 |
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222089 |
0000000056 |
静岡県 |
伊東市 |
東伊豆地方に伝わる伝統芸能「鹿島踊」 |
ヒガシイズチホウニツタワルデントウゲイノウ「カシマオドリ」 |
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財 |
芸能 |
熱海市・伊東市・東伊豆町 |
熱海市・伊東市・東伊豆町 |
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2005-01-21 |
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東伊豆町以北の相模湾沿岸の広域に「鹿島踊り」の名で伝えられ、神社の祭典などで奉納される民俗芸能です。
複数市町に分布することから、2005年に記録すべき民俗文化財として選択されました。
その由来等については諸説があり、伊東市内では、少しずつ形を変えて、宇佐美八幡・宇佐美初津、湯川、新井、富戸、川奈の6地区に伝承されてきました。
(川奈では1945年代以後踊られていません。) |
https://www.city.ito.shizuoka.jp/gyosei/soshikikarasagasu/shogaigakushuka/bunka_supotsu/2/2/1/2385.html |
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