222097_cultural_property.csv
全国地方公共団体コード ID 地方公共団体名 名称 名称_カナ 名称_通称 名称_英語 文化財分類 種類 場所名称 所在地_全国地方公共団体コード 町字ID 所在地_連結表記 所在地_都道府県 所在地_市区町村 所在地_町字 所在地_番地以下 建物名等(方書) 緯度 経度 高度の種別 高度の値 電話番号 内線番号 連絡先メールアドレス 連絡先FormURL 連絡先備考(その他、SNSなど) 郵便番号 員数(数) 員数(単位) 法人番号 所有者等 文化財指定日 利用可能曜日 開始時間 終了時間 利用可能日時特記事項 画像 画像_ライセンス 概要 概要_英語 説明 説明_英語 URL 備考
222097 静岡県島田市 智満寺本堂附本尊千手観音厨子 国指定;重要文化財・建造物 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地  34.89143 138.16251 1 6/11/1966 智満寺本堂の内陣正面に安置されている本尊の厨子です。木造で、構造は入母屋三方造り本瓦葺様、三手先斗拱、二重軒で、本割は細かいが蛙股等は桃山時代の様式も継承していると考えられます。外面は金箔を用いずに極彩色を施し、左右の両羽目は全体に薬草を浮き彫りにしてあります。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/kuni-02.html
222097 静岡県島田市 絹本著色釈迦十六善神像 国指定;重要文化財・絵画 島田市博物館 222097 不明 静岡県島田市河原一丁目 静岡県 島田市 河原一丁目 5-50 34.83116 138.15462 1 8/29/1950 絵仏師・宅間了尊の筆によるものとされ、仏画の構成は画面中央部、天蓋の下に釈迦如来が座し、その下に文殊菩薩と普賢菩薩を配して、さらに左右に八体ずつ十六善神が守護し、右隅に三蔵法師が描かれています。全体的な描写は、宋様を帯びた雄輝な筆使いの優れた傑作と伝えられています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/kuni-05.html
222097 静岡県島田市 本尊木造千手観音立像 国指定;重要文化財・彫刻 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 1 8/29/1950 カヤ材の白木で、前後を側面で接合した寄木造りです。その表情は温和で、天衣の彫りも深く、地方仏師の作とされています。本尊の厨子は、入母屋三方造り本瓦葺様、外面は全部極彩色を施してあります。秘仏で、ご開帳は60年に一度(次回は2054年)です。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/kuni-03.html
222097 静岡県島田市 阿弥陀如来及諸尊像刻出龕 国指定;重要文化財・彫刻 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 1 8/29/1950 寺伝によると、源頼朝の妻、北条政子の持念仏だったとされています。阿弥陀如来を中心に、前後左右に7体の仏像が赤栴檀(あかせんだん)の龕(がん)(小型の厨子)から内部の仏像及び光背台座に至るまで精密を極め、一体に刻まれています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/kuni-04.html
222097 静岡県島田市 島田宿大井川川越遺跡 国指定;史跡 島田市河原一丁目、二丁目 222097 不明 静岡県島田市河原一丁目 静岡県 島田市 河原一丁目、二丁目 34.83092 138.15511 8/1/1966 大井川川越遺跡(おおいがわかわごしいせき)は、川越人足たちの仕事場や、江戸時代の旅人が利用した施設を、 江戸時代当時の雰囲気を残しつつ、復元・保存している野外ミュージアムです。 日本国内で唯一「川越し」の歴史を現代に伝える貴重な遺跡なのです。 昭和41(1966)年、島田市博物館東側の道路(旧東海道)の「せぎ跡」から、 約300メートルのエリアが国指定の史跡となりました。   正式名称は、「島田宿大井川川越遺跡(しまだじゅくおおいがわかわごしいせき))」と言い、 現在、展示やイベント等で紹介する際は、「川越遺跡」、「大井川川越遺跡」と短い呼称を使用しています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/kawagoshi-iseki.html
222097 静岡県島田市 諏訪原城跡 国指定;史跡 島田市菊川地内 222097 不明 静岡県島田市菊川 静岡県 島田市 菊川 1174番地 34.81636 138.11789 11/25/1975 諏訪原城跡は、牧之原台地の北端部に近い標高212mから220mの台地に立地する山城です。本曲輪(ほんくるわ)東側の斜面は断崖絶壁となっており、当時の大井川は牧之原台地に沿って流れていたことから自然地形によって守られた「後ろ堅固の城(うしろけんごのしろ)」となっており、天正元年、武田勝頼が家臣の馬場(美濃守)信春(ばばみののかみのぶはる)に命じて築城しました。城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城と名が付いたと言われています。駿遠の国境に位置し、武田・徳川の双方が国取りの拠点とした城です。天正3年に徳川家康によって攻め落とされ、牧野城(まきのじょう)として使用されましたが、廃城時期はわかっていません。現在でも三日月堀と馬出がセットになった丸馬出や横堀(よこぼり)が良好な形で残っており、戦国時代の山城の特徴を残しています。島田市では史跡整備に向けた発掘調査を実施しており、現在残る遺構は徳川家康による改修の可能性が指摘されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/kuni-01.html
222097 静岡県島田市 智満寺の十本スギ 国指定;天然記念物 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 34.89365 138.15914 7 6/29/1962 千葉山智満寺から山頂にかけて生い茂る杉の中で、樹齢1,000年近い巨木を十本スギとし、信仰の対象となっています。スギにはそれぞれ開山杉、大杉、達磨杉、雷杉、常胤(つねたね)杉、経師(つねもろ)杉、一本杉、盛相(もっそう)杉、子持杉、頼朝杉の名が付けられています。なお、開山杉と子持杉、頼朝杉は倒木したため現存しません。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/kuni-06.html
222097 静岡県島田市 智満寺中門 県指定;建造物 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 1 1/7/1956 智満寺中門は本堂と仁王門の中間にあり、木造で和様入母屋造茅葺の門です。昭和46(1971)年に行われた解体修理の結果、建立時期は薬師堂と同時期の天正年間(1573〜1591年)であることが明らかになりました。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-03.html
222097 静岡県島田市 智満寺薬師堂 県指定;建造物 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 1 1/7/1956 智満寺本堂の西南40mの位置にある、和様寄棟造茅葺の御堂です。智満寺中門と同じ天正年間(1573〜1591年)の建立です。中には県指定文化財の薬師如来厨子に納められた薬師如来坐像が安置されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-04.html
222097 静岡県島田市 智満寺薬師如来厨子 県指定;建造物 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 1 1/7/1956 智満寺薬師如来厨子(ちまんじやくしにょらいずし)薬師堂の薬師如来を安置した厨子で、構造は木造宮殿造彩色です。中門、薬師堂と同じく天正年間(1573〜1591年)の建立です。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-05.html
222097 静岡県島田市 智満寺本堂元三大師厨子 県指定;建造物 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 1 1/7/1956 智満寺本堂内陣の左奥にある厨子で、木造宮殿造彩色です。中には天台宗中興の祖、元三大師(慈恵大師)坐像(県指定文化財)が安置されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-06.html
222097 静岡県島田市 智満寺仁王門 県指定;建造物 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 1 1/7/1956 智満寺本堂に至る急勾配の石段を上って行く途中にあります。木造和様寄棟造茅葺の門で江戸時代初期に造営されたものです。左右に木造の金剛力士立像(市指定文化財)が安置されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-07.html
222097 静岡県島田市 天徳寺山門 県指定;建造物 天徳寺 222097 不明 静岡県島田市大草 静岡県 島田市 大草 911番地 34.87352 138.17984 1 5/24/1956 天徳寺は、明徳元(1390)年に大通融士が開いたとされる曹洞宗の寺院で、寺伝によると現在地から北東に4キロほど離れたところに建てられていましたが、江戸時代初期に島田代官・長谷川藤兵衛長盛により現在地に移されました。その際に建立された山門であると伝えられています。門は木造、和様切妻破風造の四脚門で、江戸時代初期の特徴を良く表しています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-08.html
222097 静岡県島田市 静居寺惣門 県指定;建造物 静居寺 222097 不明 静岡県島田市旗指 静岡県 島田市 旗指 3083番地  34.85047 138.16711 1 3/12/1996 靜居寺は16世紀の初め、賢仲繁哲(けんちゅうはんてつ)を開山として建立された曹洞宗の寺院です。惣門は17世紀後半の建造物と推定され、京都から移されたものと伝えられています。礎盤上に立つ四本の粽付(ちまきつき)円柱で支えられ、妻側には唐破風(からはふ)があります。このような建築様式を向唐門(むかいからもん)といい、県下では極めて稀なものとなっています。獅子頭、獏頭(ばくがしら)の彫刻等、意匠的にも優れています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-09.html
222097 静岡県島田市 静居寺伽藍含6棟 県指定;建造物 静居寺 222097 不明 静岡県島田市旗指 静岡県 島田市 旗指 3083番地 34.85118 138.16669 6 11/16/1999 靜居寺本堂、鐘楼、禅堂、庫裏、開山堂、経蔵(輪蔵を含む)及び惣門はいずれも江戸時代の建造物です。県内で近世寺院建築が伽藍を構成して現存するものは例が少なく、また江戸時代中期〜末期に至る間の建物の構造や手法の変遷を知る上で貴重な建造物群です。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-10.html
222097 静岡県島田市 医王寺薬師堂 県指定;建造物 医王寺 222097 不明 静岡県島田市金谷古横町 静岡県 島田市 金谷古横町 159番地1 34.82526 138.12896 1 12/5/1986 金谷山医王寺は、弘仁年間(810〜824年)に弘法大師が薬師如来像を安置したことが始まりと伝えられています。現薬師堂は、元禄5年(1692)に再建された桁行三間(7.59m)、梁間三間(7.59m)、宝形造の仏堂です。正面の階段上に差し掛けられた向拝部分は、元禄15年(1702)に付け加えられたもので、上部には曲線に造られた海老虹梁が架け渡されています。柱の上部には組物が載り、その間には蛙の股の形の蟇股という彫刻が設えられています。内部は格子によって内陣、外陣の前後二室に分けられ、格子の上部には虎薬師に由来する虎や牡丹、菊の彫刻を施した蟇股を見ることができます。平成27〜28年度の全解体修理によって、建立当初は茅葺屋根の仏堂であったことが判明したため、茅葺型金属板葺の屋根に変更しま https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-11.html
222097 静岡県島田市 医王寺薬師堂天井画 雲龍図1面 天女図4面 花卉図50面 県指定;絵画  医王寺 222097 不明 静岡県島田市金谷古横町 静岡県 島田市 金谷古横町 159番地1 34.82526 138.12896 55 2/25/1983 医王寺薬師堂天井画(いおうじやくしどうてんじょうが)は、永村茜山の筆です。茜山は渡邊崋山の弟子で、旧姓・長谷川と言い、父は幕府の祐筆(ゆうひつ)(書記官)でした。若い頃から崋山の元へ通い、画の修行に励みましたが、崋山が蛮社の獄により逮捕されると、その追っ手を逃れるために諸国を遊歴し、金谷宿の組頭・永村家の養子となりました。外陣の雲龍図は万延元(1860)年の作品で、畳8枚分の大きさがあり、紙本に墨絵で描かれています。その両側に天女の画が4枚、内陣には花卉図50枚が描かれています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-18.html
222097 静岡県島田市 木造薬師如来坐像 県指定;彫刻 鵜田寺 222097 不明 静岡県島田市野田 静岡県 島田市 野田 1195番地 34.84561 138.18191 1 4/15/1958 万病や穢れを祓う仏である薬師如来は多くの仏門宗派で信仰の対象となり、古くから優れた彫刻が全国に残ります。鵜田寺に安置されている薬師如来像は、日本最古の説話集である平安時代の『日本霊異記』に登場する薬師如来像であると伝えられる大変古い仏像です。日本霊異記では、とある僧が鵜田の里という所から大井川を渡る際、河原の下から「我をとれ」という声が聞こえたために、僧が穴を掘ってみると薬師如来像が出てきたといいます。僧は野田に鵜田寺を建立し、欠けていた薬師如来の耳を直して本尊として据えたというのが『日本霊異記』の内容です。この仏像は平安時代後期のものとされており、説話の時代と合わないことや、鵜田の里が榛原郡にあるという記述など、説話とは矛盾点も多くありますが、ヒノキ一木割矧造の優美な顔や衣文の表現は、藤原時代の彫刻として見事なものです。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-12.html
222097 静岡県島田市 木造慈恵大師坐像 県指定;彫刻 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89139 138.16228 1 3/16/2010 慈恵大師(元三大師・角大師)は平安時代末に比叡山延暦寺の第12代座主となった実在の人物です。天台宗の中興の祖と呼ばれる功績を残したほかに、厄除けの大師として元三大師信仰の対象にもなっており、鎌倉時代を中心に各地で像がつくられました。智満寺の慈恵大師像はヒノキの寄木造で鎌倉時代後期の作と推定されており、他の像と比べて表現が控えめで表情も穏やかなところがあります。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-13.html
222097 静岡県島田市 鰐口 県指定;工芸品 鵜田寺 222097 不明 静岡県島田市野田 静岡県 島田市 野田 1195番地 34.84561 138.18191 1 10/17/1956 鰐口(わにぐち)とは、神社や寺院の堂前の軒下に吊り下げられる扁平な鈴です。青銅製で、鰐が口を開けているような形をしていることから、その名がついています。鵜田寺の鰐口には寺の由緒である伝説が刻まれています。重さは9kgあり、県内所在の鰐口の中では最大のものです。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-14.html
222097 静岡県島田市 鰐口 県指定;工芸品 白山神社 222097 不明 静岡県島田市大代 静岡県 島田市 大代 34.86755 138.07542 1 10/17/1956 白山神社のやや小型の鰐口には、「質呂庄粟島応永二十一甲午十月一日 沙弥行一」とあり、沙弥(仏門に入ったばかりの僧)の行一が大代粟島の白山神社に奉納したものであることがわかります。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-15.html
222097 静岡県島田市 紙本墨書称讃浄土経(巻子本・天平期写経) 県指定;書跡 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 1 2/27/1962 奈良時代、中将姫(藤原豊成の娘)が千巻を写経し、奈良の当麻寺に収めたものの一巻を、智満寺に収めたものであると伝えられています。現在では全国に十巻のみが残されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-16.html
222097 静岡県島田市 紙本墨書大般若経(折本仕立) 県指定;書跡 三光寺 222097 不明 静岡県島田市川根 静岡県 島田市 川根町家山 823番地 34.94577 138.07541 600 9/2/1958 約600年前の南北朝の時代に、世の中の乱れから仏様に救護を願い写経されたといわれています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-17.html
222097 静岡県島田市 島田鹿島踊 県指定;無形民俗文化財 大井神社ほか市街地 222097 不明 静岡県島田市大井 静岡県 島田市 大井神社ほか市街地 5/13/1957 鹿島踊は延宝年間(1673〜1680年)に、疫病退散を願って、大井神社境内の春日社に踊りを奉納したのが始まりといわれています。大井神社には元禄年間から三年に一度行われる大祭(帯祭)が伝わっています。鹿島踊りはその大祭に際して、神輿の御渡りの行列に奉納されるもので、白丁を先頭に、踊方は三番叟二人・お鏡二人・つつみ六人・ささら六人、囃方は笛十人・てびら三人・小太鼓三人・大太鼓一人の計34人で行われます。元禄8(1695)年、大井神社が島田宿の氏神に定められた祭礼の際、供奉の列に加えられたものであるといわれています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-19.html
222097 静岡県島田市 猿舞 県指定;無形民俗文化財 東光寺日吉神社 222097 不明 静岡県島田市東光 静岡県 島田市 東光寺 12/20/1977 東光寺の日吉神社には古くから猿舞と呼ばれる奉納舞が残っています。猿舞は4月の第2土曜日に東光寺の伽藍神である日吉神社の祭典の際、猿の面をつけて二人の子どもが舞い、楽人が笛や太鼓を奏でます。音曲、舞とも優美でいわゆる田遊びのような土着的色彩はなく、古式典雅なものです。祭りの神事の後、東光寺本堂西側の広場を特設の舞台とし、約15分にわたって奉納されます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-21.html
222097 静岡県島田市 島田帯祭の大名行列 県指定;無形民俗文化財 大井神社ほか市街地 222097 不明 静岡県島田市大井 静岡県 島田市 大井神社ほか市街地 3/12/1996 大井神社の御神輿渡御(おみこしとぎょ)の祭式神事が始まったのは、元禄8(1695)年と伝えられています。以後300年以上にわたって、三年に一度、寅、巳、申、亥の年の10月中旬の3日間、町をあげての祭りが行われています。 大名行列は祭りの最終日に開催されます。拍子木を先触れとして以下、長柄、具足、先触、赤鉄砲、黒鉄砲、弓、具足、持筒、先騎、片箱、大奴、挟箱、台笠、立笠、大鳥毛、赫(しゃぐま)、徒士、具足、弓台、打者、お鷹、餅差、持筒、草履、床几、お唄方、殿様と続きます。中でも安産祈願の帯を木太刀に下げて優雅に練り歩く大奴は島田独特のもので「帯祭り」と呼ばれる所以になっています。この大奴は御神輿渡御の道中を浄め、警護する役割を演じ、その所作には修験の作法が取り込まれています。元禄絵巻を繰り広げるこのお祭りは日本三奇祭の一つとして数えられています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-20.html
222097 静岡県島田市 東海道石畳(菊川坂) 県指定;史跡 島田市菊川地内 222097 不明 静岡県島田市菊川 静岡県 島田市 菊川 1748-17地先 34.81568 138.12451 11/26/2001 通称、菊川坂と呼ばれ、諏訪原城跡から菊川宿へ至る途中の石畳で、道幅は2.9mから4.2m、全長161mに及びます。大小の山石を組み合わせ、やや隙間を開けて敷き詰められています。現在残っている石畳は、今から150年以上前に敷設されたものと考えられております。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-01.html
222097 静岡県島田市 上志戸呂古窯跡 県指定;史跡 島田市志戸呂 222097 不明 静岡県島田市志戸呂 静岡県 島田市 志戸呂 957番地の17 34.84609 138.11062 12/1/2006 上志戸呂窯跡(かみしとろこようあと)安土桃山時代の大窯(半地下式の登り窯)が二基検出されています。徳川家康が天正16(1588)年、遠州志戸呂に住んでいた陶工たちに焼物免許の朱印状(市指定文化財)を発給しており、この上志戸呂古窯跡は家康が保護した窯であると推定されています。志戸呂焼のルーツを探る上で貴重な遺跡です。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-02.html
222097 静岡県島田市 慶寿寺のシダレザクラ(枝垂櫻) 県指定;天然記念物 慶寿寺 222097 不明 静岡県島田市大草 静岡県 島田市 大草 767番地 34.86641 138.18158 1 1/7/1956 慶寿寺本堂の裏にある桜の老木で、樹齢は350年を越えています。昔から「孝養桜」と呼ばれ、慶寿寺開山(1345年)の頃、今川範氏が父範国の遺徳を偲んで植えたと伝えられ、現存の桜は2代目になります。ソメイヨシノより1週間くらい早く開花します。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-22.html
222097 静岡県島田市 上相賀の大カヤ 県指定;天然記念物 島田市相賀 222097 不明 静岡県島田市相賀 静岡県 島田市 相賀 2187番地の1 34.88994 138.14842 1 12/25/1957 相賀地区には、今から400年位前慶長の頃、大洪水が起こり村の大部分が流出してしまいましたが、3本のカヤだけが残ったという伝説があります。上相賀の大カヤは、このうちの1本であるとされています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-23.html
222097 静岡県島田市 杉沢の大カヤ 県指定;天然記念物 島田市相賀 222097 不明 静岡県島田市相賀 静岡県 島田市 相賀 1112番地の2 34.87739 138.13868 1 12/25/1957 相賀地区には、今から400年位前慶長の頃、大洪水が起こり村の大部分が流出してしまいましたが、3本のカヤだけが残ったという伝説があります。杉沢の大カヤは、このうちの1本であるとされています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-24.html
222097 静岡県島田市 香橘寺の大ナンテン 県指定;天然記念物 香橘寺 222097 不明 静岡県島田市阿知 静岡県 島田市 阿知ヶ谷 325番地 34.84019 138.19876 1 4/15/1958 香橘寺本堂裏に大ナンテンの一株があり、推定樹齢400年とも言われている古木で大変珍しいものです。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-25.html
222097 静岡県島田市 二軒家の大カヤ 県指定;天然記念物 島田市金谷二軒屋 222097 不明 静岡県島田市金谷 静岡県 島田市 金谷二軒屋 34.81837 138.14401 1 5/13/1957 カヤはイチイ科の常緑高木です。二軒家の大カヤは樹齢1200年とも言われ、根回り6.9m、目通し5.5m、樹高20.9m、枝張り東西22.69m、南北19mに達します。樹勢良好で、枝葉はよく茂り、下の枝葉は垂れて老木の雰囲気を表しています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-26.html
222097 静岡県島田市 安田の大シイ 県指定;天然記念物 島田市大代地内 222097 不明 静岡県島田市大代 静岡県 島田市 大代地字安田 34.84478 138.08113 1 10/30/1958 シイはブナ科の常緑高木です。安田(あんだ)の大シイは根回り18.5m、目通り4m、樹高26.9m、枝張りは東西26.3m、南北22.72mあり、樹勢盛んで根元からいくつかに幹が分かれています。地上1.95mあたりで枝が大きく3本に分かれ、さらに数本に分かれています。北の枝の胴回りは4m、東の枝の胴回りは4.6m、各部とも枝は繁茂しています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-27.html
222097 静岡県島田市 横臥褶曲 県指定;天然記念物 島田市神尾地内 222097 不明 静岡県島田市神尾 静岡県 島田市 神尾 34.88747 138.11639 2/15/1979 約7千万年から1億3千万年前の海底に、乱泥流によって堆積した厚い砂泥層(タービダイト)が、その後起こった大規模な褶曲運動によって著しく褶曲し、赤石山脈が形成されました。竜門の滝の背面に露出しているのは、横に曲がった地層です。普通は表面に出ても容易に崩れてしまいますが、ここでは珍しく鮮明に見ることができます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-28.html
222097 静岡県島田市 大井川「鵜山の七曲り」と朝日段 県指定;天然記念物 島田市川根町葛籠地内 222097 不明 静岡県島田市川根町葛籠 静岡県 島田市 川根町葛籠 11/28/1997 大井川流域の標高は南アルプスから駿河湾まで南東に向かって低くなっていくのに対し、地層の構造は北東から南西に向かっているため、川の流れが南西に曲げられてしまいます。このようなことが繰り返されていくうちに谷の中の川は川底を掘り下げ曲がりが強くなり、「嵌入蛇行(かんにゅうだこう)」とよばれる曲流した川の形を形成していきます。「鵜山の七曲り」はその典型で、大井川右岸の高所である朝日段からは大井川のはめ込み蛇行を一望することができます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ken-29.html
222097 静岡県島田市 徳兵衛酒店店舗兼主屋 登録有形;建造物 島田市川根町家山 222097 不明 静岡県島田市川根町家山 静岡県 島田市 川根町家山 685番地1 34.94393 138.07598 1 6/15/2007 江戸時代末期から酒造業を営む徳兵衛酒店の店舗兼主屋は大正12(1923)年に建てられました。建物は切妻造桟瓦葺一部2階建てで、南北に走る国道473号に西向きに面しています。部屋は北側の西からナカノマ、オクノマ、セドヤ。中央を西からブツマ、ナンド。そして南側を土間のオミセと囲炉裏のあるアガリハナが配され、商家のつくりが良く残されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/touroku-01.html
222097 静岡県島田市 徳兵衛酒店土蔵 登録有形;建造物 島田市川根町家山 222097 不明 静岡県島田市川根町家山 静岡県 島田市 川根町家山 34.94393 138.07598 1 6/15/2007 大正4(1915)年に建てられた切妻造桟瓦葺2階建ての土蔵で、正面に下屋を付し店舗兼主屋よりに出入口を設けています。2階の両妻面に窓を設け、外壁腰部はなまこ壁となっており、典型的な蔵と言えます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/touroku-02.html
222097 静岡県島田市 旧片岡醸造所酒蔵 登録有形;建造物 島田市横岡新田 222097 不明 静岡県島田市横岡 静岡県 島田市 横岡新田 193番地 34.84538 11448 1 4/25/2014 片岡家は江戸時代から代々造り酒屋として、昭和44年(1969)まで酒造業を営んでいました。この酒蔵は木造、屋根は桟瓦葺寄棟、土蔵造りの総2階建て、建築面積397平方メートル、桁行き27.2m、梁間14.5mと大規模な建物で、明治27年(1894)に建てられました。酒造場としての作業性を重視し、工業生産の効率化を図るため、大型化していく時代をこの建物は偲ばせます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/touroku-03.html
222097 静岡県島田市 大井川鉄道新金谷駅舎 登録有形;建造物 島田市金谷東二丁目 222097 不明 静岡県島田市金谷東二丁目 静岡県 島田市 金谷東二丁目 34.82619 13719 1 11/2/2018 現在、大井川鐵道はSLが走ることで有名ですが、大井川上流の森林資源の搬出と電源開発を目的に大正14年に創立した鉄道会社です。新金谷駅舎は、大正15年から昭和2年頃に建てられた開通当時の建物で、木造2階建て、瓦葺き、建築面積はおよそ308平方メートルとなっています。戦前に盛んに建設された地方鉄道の様相を伝える社屋兼駅舎です。 ※尚、現在は屋根を修理中です。 ※登録名は、新字が基準のためそれに準じています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/ooigawarailway.html
222097 静岡県島田市 旧桜井家住宅主屋(島田市博物館分館) 登録有形;建造物 島田市河原2丁目 222097 不明 静岡県島田市島田市河原2丁目 静岡県 島田市 島田市河原2丁目 16番地5 34.83239 15751 1 2/4/2021
222097 静岡県島田市 長谷川家長屋門 市指定;建造物 落合 222097 不明 静岡県島田市落合 静岡県 島田市 落合 824番地 34.85959 17770 1 7/14/1983 長谷川家は、慶長元(1596)年頃から島田代官であった長谷川藤兵衛長盛の弟、三郎兵衛長通が先祖になります。長通は、兄の長谷川七左衛門長綱に随い相模国に赴き、代官職を務めた後、ここに居をを移し、代々三郎兵衛を名乗り庄屋を務めました。 この長屋門は、その庄屋宅の門で、棟札には「維時元治元龍舎甲子臘月吉日・野田村・大工棟梁・栄次郎」と記されており、元治元(1864)年に建てられたことが分ります。 茅葺入母屋造り、間口5間半(約10メートル)、奥行2間(約3.6メートル)で、市内に唯一残る茅葺長屋門です。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-12.html
222097 静岡県島田市 河村家住宅 市指定;建造物 大代 222097 不明 静岡県島田市大代 静岡県 島田市 大代 1882番地の1 34.85964 138.08187 1 7/27/1987 河村家は代々大代地区の名主をつとめ、幕府より苗字帯刀を許された御林守(おはやしもり)の役職として幕府直轄の御林を管理していました。河村家住宅は江戸時代後期の寛政5(1793)年に建てられたもので、間口約9間(16.8m)、奥行約7間(12.2m)の茅葺寄棟造ですが、現在は茅の保護のため屋根をトタンで覆っています。奥座敷の天井は天井板を奥側から張り合わせて、合わせ目がすべて表を向くようしており、襲撃を受けた際に矢が合わせ目に刺さり、奥まで届かないように工夫されていると言われています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-13.html
222097 静岡県島田市 釈迦涅槃図(軸装) 市指定;絵画 洞善院 222097 不明 静岡県島田市金谷 静岡県 島田市 金谷緑町 100番地 34.82363 12624 1 2/14/1970 釈迦涅槃図は、2月15日の涅槃会(ねはんえ)の日に寺院で掲げて釈迦の偉大な徳を偲び、仏の教えに生きることを誓うためのものです。この釈迦涅槃図は、沙羅双樹の林で世を去る釈迦の姿を中心に描き、周囲にはその前後の七つの場面を配しています。洞善院の釈迦涅槃図は、金谷出身で江戸時代後期の画家である丸尾月嶂(まるおげっしょう)が妻の死をきっかけに、三年半をかけて文化14(1817)年に描きあげた、九尺八尺(280×240センチ)のたいへん大きな絵図です。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-35.html
222097 静岡県島田市 顕如上人絵像(軸装) 市指定;絵画 西照寺 222097 不明 静岡県島田市金谷中町 静岡県 島田市 金谷中町 2023-1番地 34.82626 13136 1 2/13/1978 顕如(けんにょ)上人(1543〜1592年)は真宗大谷派の第十一世で、安土桃山時代には、真宗を弾圧した織田信長と石山本願寺で十一年間戦ってきた僧侶です。顕如上人はその後、文禄元(1592)年に豊臣秀吉が寄進した京都七条堀川の地にて西本願寺を建立しました。さらに時代が下り第十三世宣如(せんにょ)上人のころ、火災で焼失した本願寺の再建のため、浅草東本願寺に向かって関東へ下向していた本願寺の一行が金谷宿に逗留した際、宣如上人の命をうけて誓玄法師(せいげんほうし)が金谷に留まり布教の場としてお堂を建てたといいます。そして、宣如上人が江戸から京都へ帰る折に誓玄法師に下賜した宝物の一つが、この顕如上人絵図といわれています。誓玄法師はこの絵図を堂内に安置して寺院としての体裁を整え、寛永4(1627)年、寺院は落慶して本山から西照寺の寺号を授かったとのことです。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-36.html
222097 静岡県島田市 智満寺薬師如来坐像 市指定;彫刻 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 1 5/22/1984 薬師如来は仏教でいう四苦(生・老・病・死)のうち病から救ってくれるとされる仏であり、病気とともに煩悩も絶つともいわれています。現世利益の如来であるがために広く信仰され、現在でも多くの寺院に薬師堂が建てられ薬師如来像が安置されています。智満寺の薬師如来は、制作年代は明らかではありませんが、ヒノキの一木造で、目が細く吊り上る表情と胸前の襟に折り返しをつける技法が特徴的な坐像です。伝説によれば、法智大徳という僧が夢に現れた薬師像を探し、クスノキの大木の洞から見つけたものといわれています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-14.html
222097 静岡県島田市 智満寺金剛力士立像 市指定;彫刻 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 1 5/22/1984 金剛力士は寺門を守る一対の護法善神で、金剛杵をもった大型の神像です。右を阿形(あぎょう)、左を吽形(うんぎょう)と呼び、二体並ぶことで「仁王様」とも呼ばれます。千手観音を守る二十八部衆の中におかれるときはそれぞれ那羅延堅固王(ならえんけんごおう)、密迹金剛力士(みっしゃこんごうりきし)と呼びます。智満寺の金剛力士像は江戸時代初期の作とされており、ともにヒノキの寄木造で、市内では類を見ない大型の木製仏像です。合理的な材を破綻なく組み合わせていることから、京都の中央仏師の手になるものと考えられています。参道途中にある仁王門で本堂を守るように配置されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-15.html
222097 静岡県島田市 智満寺木造千手観音立像 市指定;彫刻 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 1 5/22/1984 智満寺の秘仏で、ヒノキ一木から彫り上げた、いわゆる檀像風(白檀のような香木を用いた木像で、木の香を生かすために彩色を最小限に留め緻密な細工を施した大陸の技法を模したもの)の仏像です。頭体幹部を丸彫にして、眼、小鼻、唇などがふくらみ、やや面長の顔立ちや衣を折り返す様式が特徴的です。蓮台と光背は後補のものです。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-16.html
222097 静岡県島田市 智満寺不動明王及び二童子像 市指定;彫刻 智満寺 222097 不明 静岡県島田市千葉 静岡県 島田市 千葉 254番地 34.89143 138.16251 3 5/22/1984 密教において、大日如来の化身として人々を厳しく導く五大明王の一柱である不動明王(写真中央)は、修行者の戒めの象徴として、全国の寺院に多くの優れた彫刻が残っています。矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)は不動明王の眷属(けんぞく)として側に仕える八大童子のうち、不動明王の脇侍としてよく彫られます。智満寺では鎌倉時代に密教の教えが伝授された経緯があり、その時代に不動明王も祀られていたようです。この三像は本堂内陣右奥の厨子に安置されており、表現は写実的でありながらあまり誇張を交えず、細身の伸びやかな肢体、穏やかな肉付きなどから鎌倉時代前期の作と見られています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-17.html
222097 静岡県島田市 法蔵寺千手観音立像 市指定;彫刻 法蔵寺 222097 不明 静岡県島田市尾川 静岡県 島田市 尾川 321番地 86,531.00 17387 1 5/22/1984 法蔵寺の秘仏です。ふくよかな顔と体つきは中国宋風芸術の影響を強く受けており、イチイ材の寄木造りで室町時代後期の作とされています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-18.html
222097 静岡県島田市 木造聖観世音菩薩坐像 市指定;彫刻 利生寺 222097 不明 静岡県島田市金谷 静岡県 島田市 金谷緑町 109番地 82,303.00 12739 1 2/13/1978 利生寺の観音堂に安置されている坐像で、寄木造の技法が施され、彫りの深い衣の襞(ひだ)が美しい雄大な仏像です。もともとは大代地区の安養寺に安置されていたものですが、安養寺が廃寺となった後、利生寺を開創した全察和尚が慶長年間(1596〜1615年)、観世音菩薩の夢を見たことから観音堂を建てて本像を移したといわれています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-19.html
222097 静岡県島田市 木造五智如来坐像 市指定;彫刻 専求院 222097 不明 静岡県島田市金谷宮崎町 静岡県 島田市 金谷宮崎町 2063番地の1 82,724.00 13004 6 2/13/1978 五智如来とは大日如来・薬師如来・宝生如来・阿弥陀如来・釈迦如来の五如来で、それぞれ如来の智を成就したものです。専求院の五智如来像は室町時代後期の作品とされ、五体とも完全に揃っている例は、この地域では珍しいものです。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-20.html
222097 静岡県島田市 白山神社仏像 市指定;彫刻 白山神社 222097 不明 静岡県島田市大代 静岡県 島田市 大代 2584番地 34.86755 138.07542 1 2/13/1985 大代白山神社に祀られている聖観音立像です。この神社の成立年代は不明ですが、昭和2年の旧敷地での調査では経筒や銅鏡(ともに市指定文化財、平安時代後期とされる)が出土しており、古くからこの地にある神社と考えられています。カヤもしくはカツラで造られた、この地域では珍しい一木造の仏像で、12世紀から13世紀頃の作と考えられています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-21.html
222097 静岡県島田市 宗長庵けいす 市指定;工芸品 普門院 222097 不明 静岡県扇町 静岡県 島田市 扇町 6番の4 83,555.00 17410 1 10/5/1957 この磬子(けいす)は、江戸時代後期の禅寺であった宗長庵にあったもので、宗長庵が廃寺になった後、普門院が保存してきました。宗長庵はもともと島田宿の名士であった塚本如舟(つかもとじょしゅう)が茶室として建てたもので、のちに神戸源五郎という人物が建て直して禅宗の寺格を得たとされ、磬子(けいす)はそのときに寄進されたものです。青銅製で刻銘には「初董比丘日鉢道人吟龍叟、時文化十癸酉八月到彼岸日開基神戸源五郎喜捨」とあります。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-22.html
222097 静岡県島田市 日吉神社の神鏡 市指定;工芸品 島田市博物館 222097 不明 静岡県島田市河原一丁目 静岡県 島田市 河原一丁目 5-50 83,116.00 15462 30 8/1/1970 千葉山日吉神社には、古来より様々な鏡が奉納されてきました。これらの鏡は、中国から渡ってきた「唐式鏡」の影響を受けた「和鏡」と呼ばれ、現在の鏡とは異なり鋳造により造られた青銅製の鏡です。一部の鏡には縁に穴が開けられており、これはかつて鏡を例祭の神輿に吊していたためと伝えられています。現存する三十枚の鏡は鎌倉時代から江戸時代までのものとされ、鶴、亀、松などの意匠が施されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-23.html
222097 静岡県島田市 白山神社内経塚出土品 経筒・銅鏡 市指定;工芸品 白山神社 222097 不明 静岡県島田市大代 静岡県 島田市 大代 34.86755 138.07542 各1 2/23/1985 経筒とは、「納経(のうきょう)」と呼ばれる宗教的行為に使われた道具で、中に経典(きょうてん)を入れて経塚に納める円筒形の容器です。日本での納経は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて末法思想(まっぽうしそう)が普及したころに特に盛んに行われていました。昭和2(1927)年に白山神社の神殿改築の際に四筒の経筒と三枚の銅鏡が出土しました。経筒は白色の陶製円筒形、銅鏡は三枚のうち一枚は芦花と対の鶴が施されたもので、表面には墨で「保延丙辰(保延二年)」と書き込まれているため、1136年に作られたものと考えられています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-24.html
222097 静岡県島田市 三光寺の雲板 市指定;工芸品 三光寺 222097 不明 静岡県島田市川根 静岡県 島田市 川根町家山 823番地 94,585.00 138.07593 1 6/1/1983 雲板は禅寺の仏具で、住み込みの僧の起床、食事、坐禅などの際の合図として打ち鳴らすものです。輪部が雲の形をしていることからその名がつけられました。三光寺の雲板は宝暦7(1757)年、家山村の住民が寄贈したもので、施主として19名の名前が刻まれています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-25.html
222097 静岡県島田市 芭蕉真蹟「田植の連句」(軸装) 市指定;書籍 島田市博物館 222097 不明 静岡県島田市河原一丁目 静岡県 島田市 河原一丁目 5-50 83,626.00 17731 1 10/5/1957 「やハら可(か)に堂けよ(炊けよ)ことしの手作麦田植とゝも耳(に)堂ひ(旅)の朝起」と懐紙(かいし)に書かれた連句を表装したものです。上の句(発句)を塚本如舟が、下の句(脇句)を松尾芭蕉が詠んだものです。背景には、淡彩で麦の絵が描かれています。詞書(後書き)で、「元禄七、五月雨耳(に)降こめられてあるじのもてなし尓(に)心うごきて聊(いささか)筆とる事尓(に)なん」と示されており、晩年の松尾芭蕉が江戸から郷里の伊賀上野へ赴く旅の途中、塚本如舟邸に逗留していたときに書かれたものと考えられます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-26.html
222097 静岡県島田市 牧之原東照宮の幟 市指定;書籍 島田市博物館 222097 不明 静岡県島田市河原一丁目 静岡県 島田市 河原一丁目 5-50 83,116.00 15462 2 8/1/1970 十五代将軍徳川慶喜は慶応3(1867)年10月に大政奉還し、江戸を出て駿府に入り謹慎します。慶喜が江戸を出てから駿府に入るまで警護にあたった旧幕臣の集団(「精鋭隊」、駿府に入った時点で「新番組」となる)があり、牧之原台地にはこの旧幕臣の多くが入植し、農民や元川越人足たちと協力して、後に日本有数のお茶所として有名な牧之原大茶園の礎を築いていきました。牧之原東照宮の幟は、彼ら開墾士族が勧請(かんじょう)した、牧之原東照宮の勧請15周年を祝い勝海舟と榎本武揚が自書し奉納した二流の幟です。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-27.html
222097 静岡県島田市 牧之原開墾地の絵図面と士族名簿 市指定;書籍 島田市博物館 222097 不明 静岡県島田市河原一丁目 静岡県 島田市 河原一丁目 5-50 83,116.00 15462 16,1 枚,冊 2/23/1985 明治維新後、静岡に移住した旧幕臣たちが牧之原台地の開墾に携わりました。中條金之助景昭、大草高重らが明治2年に牧之原の開墾を政府に申請し、1,400ヘクタールほどを得て元士族たちの入植が始まります。そのとき入植した200名あまりの士族たちの名簿と、300名余りの住宅や部署が記載された開墾地の図面が残されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-33.html
222097 静岡県島田市 慶寿寺文書 市指定;古文書 島田市博物館 222097 不明 静岡県島田市河原一丁目 静岡県 島田市 河原一丁目 5-50 83,116.00 15462 9 5/22/1984 今川家ゆかりの慶寿寺には、寺院の開山である遍照光寺頼忠らの判物(はんもつ)のほか、今川義元や今川氏真(うじざね)の古文書資料が残っています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-28.html
222097 静岡県島田市 東光寺文書 市指定;古文書 東光寺 222097 不明 静岡県島田市東光 静岡県 島田市 東光寺 557番地 86,234.00 19516 11 5/22/1984 東光寺は昔から時の支配者とのつながりが深く、足利氏や今川氏をはじめ、多くの武将たちからの禁制(きんせい)や判物などの文書資料が残っています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-29.html
222097 静岡県島田市 石田家文書 市指定;古文書 石田家 222097 不明 静岡県島田市相賀 静岡県 島田市 相賀 3 6/1/2001 相賀白山神社の神事に携わる石田家では、戦国時代の権力者に関わる古文書資料が残っています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-30.html
222097 静岡県島田市 静居寺文書 市指定;古文書 静居寺 222097 不明 静岡県島田市旗指 静岡県 島田市 旗指 3083番地 34.85118 138.16669 2 6/1/2001 今川氏の有力な家臣といわれる福嶋十郎が伊太地区に持つ自分の田畑の一部を靜居寺に寄進するということを示した文書。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-31.html
222097 静岡県島田市 焼物免許の朱印状 市指定;古文書 加藤家 222097 不明 静岡県島田市横岡 静岡県 島田市 横岡 1 2/14/1970 徳川家康が代官浅井雁兵衛(道多)に命じて、天正16(1588)年に遠州志戸呂に住んでいた陶工たちに、領国内での焼物商売を許可した朱印状です。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-32.html
222097 静岡県島田市 岡埜谷氏所蔵の中世古文書 市指定;古文書 島田市博物館 222097 不明 静岡県島田市河原一丁目 静岡県 島田市 河原一丁目 5-50 83,116.00 15462 6 11/5/2004 上河内地区に残っていた古文書資料は、駿河の国を今川氏が治めていた400年以上前の時代のものです。今川氏親の後室で、今川氏真の祖母にあたる寿桂尼(じゅけいに)や今川氏真の正室である早川殿ら、当時の今川家の実権を握っていた人物たちと地方の有力者たちとのやりとりが見られます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-34.html
222097 静岡県島田市 大井川川越に関する用具 大高蘭連台1台   中高蘭連台1台 半高蘭連台1台 平連台5台 道中駕籠1台 高札3基 市指定;有形民俗文化財 島田市河原一丁目 222097 不明 静岡県島田市河原一丁目 静岡県 島田市 河原一丁目 12 3/22/1957 江戸時代から明治時代、大井川の連台越しに実際に使用されていた連台や、番宿周辺への連絡に使われた高札などの用具数点です。現在は川越遺跡内の川会所などに展示されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-01.html
222097 静岡県島田市 金谷大井川川越し太鼓 市指定;有形民俗文化財 金谷地内 222097 不明 静岡県島田市金谷 静岡県 島田市 金谷 2/13/1978 金谷地区には古くから、正月の三が日に子どもたちが太鼓を叩いて町内単位で競い合うという遊びがありました。各町が所有する太鼓を子どもたちが交代で打ち鳴らしながらけんかを仕掛け、勝ったほうが負けたほうの太鼓を奪っていくというというもので、太鼓の打ち合いで勝負がつかなければ石の投げ合いや取っ組み合いになるほどの激しい遊びだったそうです。この遊びがいつから始まったのかは定かではありませんが、その起源については諏訪原城での合戦の際に金谷に響き渡った徳川軍の陣太鼓や印地打ちの行事などが考えられます。今では、時代の変化もあってこうした遊びは廃れてしまいましたが、この太鼓の勇壮な迫力を再現するために保存会が発足し、このリズムを今に伝えるとともに、元来のイメージを壊さないように配慮した独自の曲を作るなどして活動しています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-45.html
222097 静岡県島田市 八幡神社の神楽 市指定;有形民俗文化財 横岡八幡神社 222097 不明 静岡県島田市横岡 静岡県 島田市 横岡 332番地 85,719.00 11668 2/13/1978 横岡地区の八幡神社はこの地方の豪族である鶴見氏が明応5(1496)年に横岡城の鬼門除けとして建立したものと言われ、鶴見氏が滅亡したあとは、横岡地区の氏神として現在まで祀られています。この八幡神社には毎年10月に神前に奉舞する「四方の舞」と呼ばれる神楽があり、横岡の家々の家内安全、無病息災、家運繁昌を祈念します。この神楽は男子が稚児として舞うという、榛原地区では珍しい特徴があり、稚児は一人で手に鈴を持ち、烏帽子、直垂、袴姿で静かに強く四方を踏み、神楽を舞います。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-46.html
222097 静岡県島田市 神尾若宮八幡神社鑽火の神事 市指定;有形民俗文化財 神尾若宮八幡神社 222097 不明 静岡県島田市神尾 静岡県 島田市 神尾 540番地 88,849.00 10984 2/23/1985 神尾地区にある若宮八幡神社は欽明天皇の御世に宇佐八幡宮より勧請したとされ、1400年の歴史がある神社です。戦乱期に社殿や古記録などはすべて焼失してしまいましたが、毎年10月にこの神社で執り行われる「鑽火の神事」は口伝によると神社が勧請された当時から既に行われたということです。 神事に参加する五人の神官は前日まで大井川の水と竹の葉をもって身体を清め、白丁に身を包んで鑽火の神事を執り行います。神官たちは交代で、伊勢神宮の神木(檜の枝)でつくられた燧臼(ひきりうす)へ燧杵(ひきりぎね)を手早く揉みこんでいき、神の火(浄火)を生み出します。この浄火によって新米を炊き神前に供えることにより、若宮神社では五穀豊穣、災害防除、家内安全、子孫繁栄を祈願します。浄火で炊かれたお米は参拝者に御供えとして配られ、今年の無事と幸せを喜びあいます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-47.html
222097 静岡県島田市 大代大念仏 市指定;有形民俗文化財 大代地内 222097 不明 静岡県島田市大代 静岡県 島田市 大代 7/27/1987 遠州地方には、浜松を中心に遠州大念仏と呼ばれる盆行事が各地にあります。数名の演者が双盤や大太鼓、傘鉾などを担いで町内を練り歩き、道程の途上で念仏を唱和します。大念仏の起源は虫送りの行事と念仏とが合体して広まったものとされています。言い伝えによると、三方ヶ原の戦いで戦死した武田軍の将兵が亡霊となって周囲に害虫や疫病を撒き散らすようになったため、徳川家康がある高僧に亡霊の調伏を命じました。僧は念仏を敢行し、亡霊たちを成仏させたことが始まりだといわれています。大念仏は遠州各地に広がり、金谷の大代地区に伝わる大代大念仏はその東限になります。しかし、戦時中に道具は軍に供出され、大念仏を知る者も減るなか地元で活動を続けてきましたが、現在では行われていません。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-48.html
222097 静岡県島田市 巖室神社鎮火祭 市指定;有形民俗文化財 巖室神社 222097 不明 静岡県島田市金谷 静岡県 島田市 金谷新町 1番地の1 81,993.00 12463 7/9/1990 JR金谷駅の北にある巖室神社の鎮火祭は「ほしずめのまつり」とも言われ、火災を防ぐための祭祀として、その起源は奈良時代の宮中祭祀に求められます。巖室神社では、元文年間(1736〜1740年)から続く行事で、当時の金谷宿では大きな火災が相次いだことから、再々の火難を憂う時の神官が宮廷祭祀に則り始められたものと考えられます。この神事は毎年10月28日に日没を待って氏子たちが参集する中で行われます。庭場に祭場を設け、神官が太刀をもってあらかじめ備えられた焚き火を切り、匏(ひさご)に盛った水をかけ、埴山姫(土曜日)、川菜にて火を鎮めます。そして、鎮火した炭は、火災予防のお守りとして参列者に配られます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-49.html
222097 静岡県島田市 笹間神楽 市指定;有形民俗文化財 川根町笹間上 222097 不明 静岡県島田市川根 静岡県 島田市 川根町笹間上 35.02928 15879 10/1/1970 川根町の笹間上地区には、駿河神楽の流れを汲む笹間神楽が伝えられています。駿河神楽は大井川左岸山間部から安倍川流域山間部の西駿河に伝承されている山の神楽で、「湯立て神事を行う」、「舞台に陰陽五行説を取り入れている」、「面をつけての共通の演目がある」などの一定の共通点をもつ神楽です。笹間神楽は江戸時代中期に伊勢の外宮で学んだ氏子が持ち帰ったとする説と、東の静岡市黒俣地区から伝わったとする二つの説があります。順の舞、恵比寿大国の舞、翁輔の舞、須佐之男の舞など複数の舞の形があり、戦後の混乱期に消滅しかけましたが、今では地域の保存会の力で地元の小中学生も交えて保存伝承の動きが活発になっています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-50.html
222097 静岡県島田市 宗長庵趾 市指定;史跡 島田駅構内 222097 不明 静岡県島田市日之出町 静岡県 島田市 日之出町 34.83039 17369 3/22/1957 宗長庵は、元禄年間(1688〜1704年)に島田宿の俳人・塚本如舟(つかもとじょしゅう)が室町時代の連歌師宗長を偲んで建てた庵で、地元や旅の雅人と諷詠(ふうえい)を楽しんだところとされています。今この場所はJR島田駅構内となっており、宗長の他、如舟と親交のあった松尾芭蕉の句碑が建立されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-02.html
222097 静岡県島田市 駒形古墳 市指定;史跡 野田 222097 不明 静岡県島田市野田 静岡県 島田市 野田 91番地の6 84,536.00 18738 1 10/5/1957 島田市民病院東側の尾根に築造された古墳時代後期の古墳です。明治3年8月、畑を開墾していた駒形さんにより発見、昭和5年に刊行された『静岡懸史』に石室の図面と出土遺物が記載されています。古墳の大きさは、東西5.45m、南北9.10mの楕円形をしています。石室の中には、板状の石を組み合わせた石の棺があり、耳飾り・太刀の鍔・小刀・須恵器などが出土したと言われています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-03.html
222097 静岡県島田市 愛宕塚古墳 市指定;史跡 阪本 222097 不明 静岡県島田市阪本 静岡県 島田市 阪本 4395番地 82,039.00 20845 1 10/3/1963 谷口原古墳群のうち最も大きなもので、全長21.5m、高さ2.75mの前方後円墳です。加工した石を積み上げて棺を納める部屋を築いた「横穴式石室(よこあなしきせきしつ)」の古墳です。石室の中央には、2番目に埋葬された人物のものと思われる石の棺が置かれ、周囲には勾玉・管玉・ガラス玉などの首飾りや金・銀メッキの耳飾りが発見されています。耳飾りは全部で6個見つかり、2個のセットと考えると3人は埋葬されたと想定されます。出土した須恵器から6世紀中頃から後半にかけて埋葬されたと考えられています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-04.html
222097 静岡県島田市 横岡宮の段古墳 市指定;史跡 横岡 222097 不明 静岡県島田市横岡 静岡県 島田市 横岡 315番地 85,756.00 11742 1 2/14/1970 宮の段古墳は全長5.5mほどの円墳で、内側は横穴式割石積石室です。石室は羨道(参道)と玄室(死体を安置する室)に別れ、小突起状の羨門で区別する構造をとっています。明治33(1900)年に発掘され、耳飾り、刀片、須恵器などが見つかっており、これらの出土品は東京国立博物館に収蔵されています。副葬品から、6世紀後半〜7世紀初頭の古墳時代後期の古墳と考えられています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-05.html
222097 静岡県島田市 中山新道の道銭場跡・附料金表(立札 1点)        市指定;史跡 佐夜鹿 222097 不明 静岡県島田市佐夜鹿 静岡県 島田市 佐夜鹿 91番地の2 82,249.00 10005 2/14/1970 中山新道は、明治時代に金谷宿と日坂宿の間を切り開いてできた有料道路で、道銭場は中山新道の料金所跡です。江戸時代、小夜中山(さよのなかやま)の峻険な峠は東海道の難所として知られていましたが、明治4(1871)年に、道路や橋の建設修理工事を行った者が、かかった費用を交通料として徴収することができるという有料道路の建設を認める太政官布告が発令されると、金谷の杉本権蔵が小夜中山を切り開いて道路を建設することを思い立ちました。中山新道は全長約6.7km、人夫延数万人をかけて明治13(1880)年5月30日に完成しました。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-06.html
222097 静岡県島田市 中山新道の古文書 6通 島田市博物館 222097 不明 静岡県島田市河原一丁目 静岡県 島田市 河原一丁目 5-50 83,116.00 15462 6 2/14/1970
222097 静岡県島田市 横岡(志戸呂)城跡 市指定;史跡 横岡地内 222097 不明 静岡県島田市横岡 静岡県 島田市 横岡 440番地1,2 85,426.00 11278 6/30/1978 室町時代末期に遠州三十六人衆と呼ばれた小豪族、鶴見因幡守栄寿(つるみいんばのかみひさとし)の居城跡です。宇田城、志戸呂城、鶴見城などとも呼ばれており、敷地は1,340坪余りの小規模な平山城です。横岡城は今川氏との戦に破れた後廃城となり、今では大部分が茶畑となってしまいました。大手の外郭(そとくるわ)の土塁の一部と、直径2平方メートル程度で、周囲を丸石で覆っている古井戸を残すのみです。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-07.html
222097 静岡県島田市 旧東海道と石畳(金谷坂) 市指定;史跡 金谷坂町地内 222097 不明 静岡県島田市金谷 静岡県 島田市 金谷坂町 81,564.00 12386 2/23/1985 石畳茶屋から菊川へ抜ける旧東海道は、旅人の安全な歩行のために石畳が敷き詰められていました。しかしながら、時代の移り変わりによって、30mだけを残して舗装が施されてしまいました。この周辺には三猿像のある庚申堂、芭蕉句碑、明治天皇御駐輦址などの史跡が残っています。平成3年には、「平成の道普請」と銘打った旧金谷町民による一人一石運動によって、石畳を430mまで延長しました。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-08.html
222097 静岡県島田市 石上城跡 市指定;史跡 金谷天王町 222097 不明 静岡県島田市川根町笹間上 静岡県 島田市 川根町笹間上 706番地1他 35.01146 14920 3/1/1971 川根笹間地区登福寺東側の尾根に位置する中世の山城です。現在神社が建てられている頂上が「本曲輪」、手前を「二の曲輪」、曲輪の南北尾根を縦掘で削り防御のための「掘切」をしています。南側には平地があり、この地を治める石上氏の屋敷跡と伝わります。南北朝時代には徳山城(川根本町)の支城として南朝方に属していたことが知られ、今川氏・武田氏の支配が移りますが石上氏が城主を続けます。天正3(1575)年に城主の石上菟角之助(いしがみとかくのすけ)が徳川氏との戦いで討死した後に廃城になったと考えられます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-09.html
222097 静岡県島田市 又平庄太郎氏記念碑 市指定;史跡 川根町家山 222097 不明 静岡県島田市川根町家山 静岡県 島田市 川根町家山 294番地1 94,279.00 138.07945 1 6/1/1983 安政3(1856)年に川根町家山に生まれた又平庄太郎は、当時は島と呼ばれ葦の生い茂る荒地だった家山の大井川河岸を整備し、木材問屋を兼ねた製材工場をつくって事業を興し、後に上流と下流で木材を運搬する船着場を建設しました。船着場にはお茶やシイタケ、日用品を売買する人や材木を運搬する筏がつくようになり、人々の出入りが多くなるにつれて島には旅館や鍛冶屋、菓子屋、銀行等もできて栄えました。又平庄太郎が明治32(1899)年に亡くなると、人々は彼の業績を讃えてこの記念碑を建てました。碑は縦書きの漢文で、その最上部には当時の静岡県知事・李家隆介氏が「記念碑」と篆字で書き記しています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-10.html
222097 静岡県島田市 天王山遺跡 市指定;史跡 川根町家山 222097 不明 静岡県島田市川根 静岡県 島田市 川根町家山 579番地 34.94102 138.07474 11/9/2001 天王山遺跡は、野守の池の東側、小高い神社が見える丘陵にあります。平成5年の発掘調査では、縄文時代早期(約8,000年前)から人が住み始めていたことがわかりました。また、弥生時代後期から古墳時代初期には小規模なムラが営まれ、やがて古墳が築造されます。この古墳は天王山2号墳と呼ばれ、大井川上流域でも初期の古墳と考えられています。直径8mの方形をしており、埋葬施設は検出されませんでしたが、木棺直葬(細長い穴を掘って木の棺を直接埋める)と考えられています。天王山遺跡は、現在史跡公園として整備され、ここから川根市街を見下ろすことができるようになっています。なお、出土した遺物は近くの川根文化センタ−チャリム21に展示されています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-11.html
222097 静岡県島田市 種月院のナギ 市指定;天然記物 種月院 222097 不明 静岡県島田市阪本 静岡県 島田市 阪本 3371番地 34.81078 138.216 1 10/3/1957 ナギは常緑の高木です。密生した肉厚の葉をずっしりとつけ、垂れ下がる枝が印象的です。この葉は一見すると普通の広葉に見えますが、ナギはマキ科の針葉樹なので葉脈が全て縦に走るという特徴があります。そのため葉はちぎりにくく「弁慶泣かせ」の別名があります。ナギは古くから神木とされて神社仏閣等を中心に各地に植えられています。静岡県内ではナギの大木はあまり見られず、樹高20m、目通り2mに達するこの種月院のナギのように大きなものは珍しいものです。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-37.html
222097 静岡県島田市 のたり松 市指定;天然記物 井口 222097 不明 静岡県島田市井口 静岡県 島田市 井口 544番地 34.8011 138.22843 1 7/14/1983 のたり松は、井口八幡神社の境内であった場所に古くからある松の老木です。「臥龍松」とは短い幹から分かれた枝が地面と並行に長く伸びていく様を龍になぞらえて称するものですが、この松は幹にあたる部分がほとんどないほど短く、枝が地上近くを這うように伸びていることからこの名がつき、その姿と名前で地元の人々に親しまれています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-38.html
222097 静岡県島田市 アベマキ 市指定;天然記物 阪本 222097 不明 静岡県島田市阪本 静岡県 島田市 阪本 1336番地の1 34.80699 138.22229 1 7/14/1983 大正10(1921)年に初倉小学校の校庭に植えられたという記録が残っている、アベマキの大樹です。アベマキはブナ科の落葉高木で日本産の木としてはコルク層がよく発達しているのが特徴で、粉コルク(コルクを一旦粉砕したあと、糊などで固めたもの)も取ることができる種類です。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-39.html
222097 静岡県島田市 牧之原公園斜面のカタクリ 市指定;天然記物 牧之原公園 222097 不明 静岡県島田市金谷富士見町 静岡県 島田市 金谷富士見町 34.8159 138.13361 5/28/1985 カタクリはカタコユリとも呼ばれるユリ科の多年草で、日本各地の里山の林床で3月半ばから4月初旬まで、紅紫色の花を一斉に咲かせます。近年、宅地化や工業開発の波に押されて野生のカタクリはあまり見られなくなってしまい、この牧之原公園のカタクリが南限とされています。公園の中の一角に野生のカタクリが残っており、地域の人々の努力によって毎年可憐な花を咲かせます。普段この場所は立入禁止になっていますが、花期には一般開放され、近くで見ることができます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-40.html
222097 静岡県島田市 熊野神社の大クスノキ 市指定;天然記物 牛尾熊野神社 222097 不明 静岡県島田市牛尾 静岡県 島田市 牛尾 1438番地 34.85226 138.12896 1 3/26/2001 大井川右岸にある牛尾山は山頂が台地状になっており、茶畑が一面に広がっています。今から400年前の慶長元(1596)年、村の守護神としてこの台地の南に熊野神社が勧請されたという記録が神社にあり、そこに大きなクスノキが生えていたということですから、このクスノキは少なくとも樹齢400年を数えます。樹高35m、根回り11mの大木で境内に太い根を広げて今なお旺盛な生命力を見せています。 地方に伝わる民話によると、牛尾山は、かつては相賀の地と繋がっており、このクスノキも大井川の左岸にあったといわれます。クスノキは安田の大シイ(県指定天然記念物)と始終川を挟んでけんかばかりして周りに迷惑をかけていましたが、二本のけんかに閉口した駿府の殿様が「二本の木には川のむこうでけんかをさせろ」と大井川の流れを変えてクスノキを相賀から切り離して安田と地続きにしてしまいました。クスノキとシイは、金谷の人々がかつて川だった牛尾や竹下を開墾していく姿を見守っているうちに仲直りしたということです。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-41.html
222097 静岡県島田市 寿永のサクラ 市指定;天然記物 久圓寺 222097 不明 静岡県島田市川根町笹間上 静岡県 島田市 川根町笹間上 35.03596 138.16635 1 3/1/1971 笹間上地区に久円寺という古刹があり、その境内に樹高約7.5mの枝垂桜があります。平家の落人である平清久が寿永年間(1182〜83年)にこの寺を開き、その時に植えた桜であるという言い伝えから「寿永の桜」と言われています。1センチに満たない赤と白の小さな花が咲くことから「源平桜」、久円寺の開基に植えられたことから「開基桜」とも呼ばれています。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-42.html
222097 静岡県島田市 二俣の大スギ 市指定;天然記物 二俣八幡神社 222097 不明 静岡県島田市川根町笹間上 静岡県 島田市 川根町笹間上 35.02928 138.15877 1 6/1/1983 相生(根元から二本の幹が真直ぐに伸びる樹形)のスギの大樹で、笹間上地区にある二俣八幡神社の本殿前に鎮座する御神木です。樹高は38m、目通りは5m近くあります。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-43.html
222097 静岡県島田市 塩本牛代のエドヒガン 市指定;天然記物 川根町家山 222097 不明 静岡県島田市川根町家山 静岡県 島田市 川根町家山 34.95379 138.05012 1 7/1/2007 川根町家山西部の牛代地区には、見事なエドヒガンの一本桜があります。エドヒガンは本州、四国、九州の山地に自生するサクラの一種で、ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラを交配してつくられました。地元では古くから「水目桜」とも呼ばれ、周囲を茶園の緑に囲まれた中で淡紅色の花をいっぱいに咲かせる様は大変美しく、開花期には毎年多くの人がこの地を訪れます。 https://www.city.shimada.shizuoka.jp/shimahaku/docs/shi-44.html